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数学は言語か?

こんなタイトルの記事を書くこと自体、躊躇しましたが(「当たり前でしょ!」という方が多数派かと)、少し気になってます。

「宇宙は数学の言語で書かれている」”universo é scritto in lingua matematica”
                                  Galileo Galilei (1564-1642)・・
・・ほら! 数学は言語でしょ!ガリレオが言ってるし・・・

しかし、「違う!」という最先端サイエンスの方もいらっしゃるようです!それが極少数派なのか否か、わたしは判断しかねますが、もしかしたら、わたし自身のなかに、「違う!」という自分がいるのかもしれません。

先ず、「言語」の定義の問題かもしれません。
言語学での正確な定義は知りませんが、『記号(シンボル/象徴)を用いて世界(内的/外的)の諸現象に関する情報を各認識主体が相互に伝達し合うことができる手段』だとすると、数学も言語かと思います。

次に、人工言語と、自然言語の違いから来る曖昧さが関係しているのかもしれません。
自然言語を念頭に置くと、「数学は(自然)言語ではない」と言う方も「数学は人工言語である」は当然認めるのではないでしょうか。

更に、両者の認識に違いがある故に、「数学は言語ではない」と感じるのでしょうか。確かに、数学の認識過程と(自然)言語の認識過程は、まったくと言っていい程違うのでしょう。では、数学の認識過程と(人工)言語の認識過程は、同じと言ってのでしょうか。微妙かもしれません。

では、純粋数学と、応用数学の間で違いがあるのでしょうか。前述のガリレオの言う「数学」は後者でしょう。

では、「純粋数学は(人工)言語か?」はどうでしょう。『記号(シンボル/象徴)を用いて世界(内的/外的)の諸現象に関する情報を各認識主体が相互に伝達し合うことができる手段』の定義を前提とすると、「世界(内的/外的)の諸現象に関する情報」の個所が引っ掛かるのでしょうか。「内的世界の諸現象に関する情報」とするとよいのでしょうか。つまり、「純粋数学は、『記号(シンボル/象徴)を用いて内的世界の諸現象に関する情報を各認識主体が相互に伝達し合うことができる手段』、つまり、「言語」である。」・・と。

それでも、「違う!」という方(自分も)は、何と言うのでしょうか。「数学的イデア界と関係している点で、「言語」とは違う」とでも言うのでしょうか。

次に出る質問は、「数学的イデア界は存在するのか?」「何処に数学的イデア界は存在するのか?」「数学的イデア界とは何か?」・・・

15.Nov.24 あまりにもあいまいな-レジリエンシ

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