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イスタンブールのモスクで井筒俊彦訳「コーラン」を読む

日本の住居を引き払って、トルコ・イスタンブールに来て9日目。
このひと月程たいへんな時期はなかったかもしれない。
3月初めまで、古典ギリシア語のオンラインレッスンがあり、かたづけ・旅したくに手が付けられなかった。それ程、古典ギリシア語はむずかしい!サンスクリット並かも。

大きなものからかたづけた。大型織機、地機、暗室大型エンラージャ数台・暗室水槽二基、多数のカメラ、多数の三脚・・。本がたいへんだった。残したい本ばかりで・・。

せっかく海が見える家なので、視界を遮っているヤマモモの枝落としをひとりでやりのけた。お陰で、今に至るも両手がパンパンである。

琉球藍は、山崎和樹先生の工房に届けた。以前差し上げた藍の苗を大切に育ててくださっていることに感動した。やはり、先生と息子さんに託す判断は正解だった。

かたづけてもかたづけても減らないグッズに、出発前日とうとう徹夜だった。それでも、残ってしまった荷物は、エコプラスのなおさんのお世話になった。
お掃除本舗さんも、とてもいい方で、こんなカオスな日程をうまくやりくりしてくれた。
不動産屋さんもあきれ顔で見ておられた。これからである。

かなりの強行だったが、こうでもしなければ、いつまでもミニマリストにはなれなかっただろう。
というか、本をスーツケースに入れすぎて、重量オーバーで、空港カウンタで多額の超過金をとられた。自分の年齢・体力の限界を超えているので、いまだにミニマリストプロジェクトは継続中。

日本での柵から抜けられず、カオスな引っ越しと言うか住所変更と日本脱出の後始末を、イスタンブールの安アパートの部屋でやり続けている。

ロカンタという大衆食堂のテイクアウトを買いに外出するついでに、近くのモスクに立ち寄っている。観光地のモスクではなく、街中の小さなモスクがいい。SultanArmet(bluemosque) も観光客がいなければとてもいい空間だが。Sokullu Mehmet Pasa Camiという、ほとんど熱心なイスラム教徒のモスクがお気に入り。早朝から晩まで数回流れるアザーンは、ここから流れている。他にもモスクがあり、複数のアザーンがハモっている。こんなトルコ・イスタンブールは好きかも。

モスクで、井筒俊彦を読んでいる。「イスラーム哲学の原像」は名著である!井筒俊彦訳の「コーラン」も名訳!
Sokullu Mehmet Pasa Camiには、日本語訳、韓国語訳、ドイツ語訳、英訳・・多国語訳の「コーラン」が置いてあり、パラパラ眺めたが、井筒俊彦訳とは、レベルがまったく違う。

「『コーラン』はアラビア語の原文でこそ聖典である。外国語に訳された『コーラン』はすでに聖典ではなく、一個の俗書であり、原文の一種の極めて初歩的な註釈であるにすぎない。」という天才井筒俊彦にしてもの嘆き・嘲笑は身に沁みてよく分かる。
わたしが行ってきたテクノロジーの翻訳ですら、その感があるのに、ましてや、「聖典」の翻訳ともなると、その難しさは想像を絶する!

アラビア語は、まったく知らないが、毎日朝昼晩数回アザーンを聞き、モスクに掲げられている不思議な文字たちを見ると、ほんのすこし、井筒俊彦の気持ちが分かるような気がする。イスラームは、イスラームでこそのイスラームなのだろう。西欧世界は、このことをもっともっと自覚しないといけないのかもしれない。

20.Apr.24 istanbul


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