3月に考えていること……10の善意で1の悪意を退けられない謎
3月に考えていること。
ざっくり言うと、なぜ人々は「10の良い言葉をもらっても、1の良くない言葉で深く傷つくのだろうか」ってこと。
いろんな人が「ありがとう」「大好きです!」「いつも応援してます!」など、善意の言葉をとある対象に投げかけているんだけども、ある一人(あるいはごく一部)のユーザ〜が「つまらない」とか「下手」なんていう言葉を投げかけると、不思議とそれが目に入ってしまう上に、いつまでもそのトゲが心に刺さって取れずにいる……なんてことになる。なんでだ?
しかも、そのトゲは、改めて善意の言葉を投げかけてもらってもなかなか取れない。これも、なんでだ?
きっと、こういう心のメカニズムを研究している専門家などはすでにあるんだろうな。俺もそういうメカニズムはずっと知りたいと思っているので、日々ぶつぶつと、いろんなことについて「なんでだ」と考えては結論に辿り着けずに、あるいは「なんでだ」と考えていること自体を忘れ去って、時間を失っているんだけど。
小さくとも、心に刺さったその棘は驚くほどの時間をかけないと抜けきらない。なんなら抜けた後も傷の治療にまた時間がかかるものだ。
良くない言葉を放った方は、案外そのこと自体を忘れてたりするもので、この釣り合わなさにも「なんでだ」と思う。覚えてろよ。ずっと覚えとけよ。人を傷つけてるんだぞ。下手したら放った相手は死ぬんだぞ。なんでだ。
ありがとう、とか、応援してる、とか、大好きです、という言葉を改めて投げかけてくれることで、多少は癒えるのも確かだ。でも、癒え切らないんだ。なんでだ。
良くない言葉を投げかけられた、ということなんか、そのありがたい言葉で癒されていいはずなのにさ。好きでいてくれる人の言葉とその人をずっと覚えておけばいいし、覚えているんだけれど……刺さった棘や抜けた後の傷がなかなか癒えないのは、本当に不思議だ。
人の体験の様子を見ていたり、自分自身の体験のもと、なんでだ! と強く思う。
よくある「気にしなくていいよ、そんなの」とか「忘れとけ」とか、そう言う言葉はなんの足しにもならないので、悪しからず。
そんなのさ、忘れられるなら忘れるんだよ。気にせずにいられるなら気にしないし。けれどそんな切り替えスイッチは残念ながら実装されていないのだ。人間にもリセットボタンをくれ!
そんなことを考えている、3月。