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【覚悟と微笑(5)】パラ陸上・鈴木朋樹
タクシーの車窓から、アスファルトの道路の脇に、まだ手がつけられていない砂地が広がっているのが見えた。もとは砂漠だった場所に駅ができ、それに追随してホテルが2軒ほど建てられたばかりのようだ。他に目立つ建物はなく、通りを歩いている人はいない。
腕時計はドバイ時刻22時を回っている。空には雲がかかっているのか、ただ黒く広がっているだけで、星一つ見えなかった。
パラ陸上世界選手権、車いすT54クラス男子800m決勝。2時間ほど前に終わった、あのレースのことを考えようとした。
しかし、何から、どのように考えを進めていけばいいのか、私の中ではっきりしない。
結果を言えば、1着でゴールに入ったのは、アメリカのダニエルだった。世界記録保持者の優勝は、実力どおりの結果だと言っていいかもしれない。2着は、スイスのマルセルだ。ダニエル、マルセルの着順は、WPAのランキングと同じ結果になっている。3着は、中国のチャンが入った。成長著しい中国の選手が表彰台に上がった。
2019年のシーズンでこれまでに開催された大会の結果、選手の記録などを踏まえて考えれば、800m決勝の結果は、選手やコーチ、パラ陸上の競技関係者、取材に来ていたメディア関係者にとって、決して意外な結果ではないだろう。
鈴木は8着。
最下位だった。
この結果については、どう考えたらよいだろうか。
私は、鈴木に期待していた。ただ、彼が表彰台に上がる姿を思い描いていたかと自問すると、そうではなかった気がする。
男子800m決勝。
予選を通過した8人の選手が、一番内側のレーンを1つ空けて、2レーンから9レーンに並んだ。鈴木は一番外側から2つ目、8レーンだ。
号砲の合図にピタリと呼吸を合わせたように、鈴木はぐっとハンドリムを押し出した。
ぐっぐっぐっと小刻みなリズムでハンドリムを押し出している。タイヤの回転数が上がり、レーサーが加速していった。
選手たちがブレイクラインを越え、鈴木が8レーンから内側のレーンに入ってきた。先頭から数えて5番手か6番手あたりだろうか。集団の中でどの位置を狙っているのか。思いどおりのポジションが獲れそうなのか。息をのんで見守ろうとした。
次の瞬間、選手たちを捉えていた映像のカメラが切り替わり、鈴木の姿がいったん画面から見えなくなった。
甲高い鐘が鳴り、レースは最終周に入った。
ダニエルを筆頭に6人の選手が一つの集団となって進んでいた。先頭集団から逸れた選手が2人、後から追いかけるように走っている。
後方2人の選手のうち、1人が鈴木だった。
鈴木は最後尾から抜け出せないまま、ゴールラインに近づいていった。
決勝のレースを終えて、鈴木がゆっくりとミックスゾーンにやってきた。
日本人の記者たちが、レーサーに乗っている鈴木を見下ろすように取り囲んだ。私は記者たちが並ぶ列の最前列に出て、鈴木の声を聴き洩らさないように耳を澄ませた。
国内の大会では、鈴木はレースが終わると頭の中にあるものを整理していて、質問されれば、すぐに答えていた。
記者の一人が、決勝のレースについて率直な感想を求めた。
鈴木は、ふーっと大きく息をついた。
「正直、何も言えないですね…」
一瞬の沈黙が流れた。
記者たちは、鈴木の次の言葉を待った。
重い空気を振り払うように顔を上げ、鈴木は一息に話した。
「スタートを切った時は成功したと思いました。次に集団の中での位置取りを考えていたんですが、これまでの決勝のレースではありえないくらいのハイペースで、ちょっと頭がいっぱいいっぱいになってしまいました。余裕のないレース展開になって、決勝のレースで最下位となりました」
頭の中の整理しきれていないのだろうか。
「最下位」という結果を、そのまま口にしている。
私が聞きたいのは、その結果について、鈴木がどう考えているか。その結果になってしまった理由について、どう考えているかだ。
これまでの鈴木なら、質問した人が何を聴きたいのかまで察知して答えていた。最高速度やタイムなど客観的な指標を挙げて、結果を分かりやすく解説してくれることも多かった。
「何も言えない」
そう言わざるをえないほど、打ちのめされたのだ。叩きのめされて、リングの上にあおむけになっているボクサーと同じではないか。
鈴木は、なぜ、そんな状態になってしまったのだろう。
2カ月ほど前、北海道・網走で個人合宿を組んでいた鈴木は、ヒリヒリとした空気を放っていた。
今春のスイス遠征で、海外選手の競技に対する「覚悟」を感じ、「このままではいけない」と自分を戒めていた。鈴木自身もそれなりの「覚悟」を持って競技に取り組んでいたように見えた。
私が知っている鈴木は、常に目標を明確にし、それを達成するために緻密な計画を立て、練習を積み重ねることができる選手だ。
世界選手権に向けて、これまで以上に準備をしてきたに違いない。それでもなお、海外の強豪勢の力は、鈴木の力を大幅に上回るということなのか。
どんな言葉を聞いても、受けとめきれそうになかった。スイッチをオンにしたICレコーダーを握った手を、鈴木のほうへ伸ばした。鈴木の声が、音声のデータとして私の手許に残った。
(取材・執筆:河原レイカ)
(写真提供:小川和行)
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