「立証責任は科学者側」ですか?
2004年5月11日(現地時間)、メキシコ国防相は未確認飛行物体の目撃事案を発表しました。
それによるとこの年3月5日、空軍パイロットが通常の麻薬取引警戒任務で飛行中、同国カンペチェ州上空で11個の未確認飛行物体に遭遇し撮影した、と。
乗組員によれば、それらの発光体は機体を取り囲んで消えたとのこと。
作家でもありUFO(以下では「宇宙人の乗り物」の意味)信奉者でもあるペトロ三木はこの件に関し、それがUFOだと主張しつつこう述べた。
「(人工衛星再突入説を唱える科学者に対し)それは仮説にすぎない。UFOであることを証明しろという前に、否定派はUFOではないことを証明しなければならない。科学的なウソだ」と。
そうなんでしょうかね。
科学の実証性と再現性
科学研究で積み上げられた知見を「ウソ」の一言で片づけちゃう?
それにしてもこの立証責任ってやつ、この場合どちらにあるのでしょうか?
科学は実証研究をその根本としています。
実証、つまり「どんな考えや主張も真と思い込むのではなく、本当かどうか確かめましょうよ」という立場。
その為にもまずは、見誤りや記憶違いなどではなく、その現象自体が本当に存在するかどうか、ですね。
ここで観測可能性や再現性が問われます。
UFOや幽霊を肯定するためには、再現性のある証拠が求められるのですが、それがなかなか難しい。
新しい主張の立証責任
現象自体の存在性(宇宙人の乗り物としてのUFO、死者の姿が可視化されたものとしての幽霊など)を立証する責任については、さらにいくつかポイントが挙げられるでしょう。
まず原則論として、既知の知識を越えた新しい主張がなされた場合、それが真実であることを証明する責任はその主張を行う側にあります。
なぜか?
既知の知識(科学知識)は多くの検証を経て正しさが相当程度担保されたものと言えるが、そうでない新奇な現象は、そのような確かめられたバックグラウンドがないから。
実証的観点からは単にそうした証拠が存在しないことを指摘するだけで、否定の為には十分です。
ここは既存の科学知識との接続性がポイント。
接続しないUFOや幽霊の存在を示す証拠が提示されない限り、その主張は立証されたとは見なされません。
ついでに言うとそれらを否定する、心理作用や錯覚などに起因した事実誤認論の方が非常に高い再現性を示したりします。
「ゴキブリとカラスが黒いのは、両方とも悪魔の化身だから」と誰かが言ったとする。
なぜ?の問いに対し「夢で神にそう告げられた」と。
宗教なら何を信じても良いし、イワシの頭が信仰の対象でも構わない。
ただ、実証的に真理に迫ろうという立場からすると、誰それの実証不可能な世界観に盲従するのは禁じ手となります。
こういうとまじめな宗教者に怒られるかもだけど、この神のお告げ論と何百年の長きにわたり伝えられた教典、そのどちらも信じ込むことの危うさにおいては、量的差こそあれ質的には同じことと言ってよいでしょう。
要するに、科学知識によらない偽りの主張は無限に多く産出可能、ということです。
であるならば、新奇な主張の側に主張の根拠なり存在の証拠を挙げる責任があるのは当然でしょう。
否定の証明の困難さと論理学的立場
技術的な問題として、否定を証明することは不可能もしくは大変困難なことがほとんどです。
例えばある箱の中にボールがいくつか入っているとしましょう。
この中に「青いボールは存在しない」ことを立証するにはどうしたら?
もちろん箱の中身を見て、入っているすべてのボールを確認してみればよいですね。
しかし往々にして、このような網羅的な調査が不可能なことがあります。
「白いカラスは存在しない」ことを立証するためには?
箱のボールと同じようにやれれば問題ないのですが、地球上に存在する全カラスを網羅的に調査するのは不可能です。
それに対し「白いカラスは存在する」を証明するには、白いカラスを一羽連れてくればよろしい。
仮定は少ないほど良し
また論理学的立場からは、シンプルな仮説ほど最も信頼可能という原則があります。
これは「オッカムの剃刀」とも呼ばれます。
余計な仮説は剃刀(カミソリ)で削ってしまえ、と。
同じ現象を説明できるのであれば、用いる仮説は少ない方が良い。
先の例で言うと、飛行機を取り囲んだ光点は、大気圏に突入した人工衛星や隕石のかけらで説明することは可能です。
隕石はもちろん、使い古された人工衛星の大気圏再突入も地球上で割と頻繁に起こっている事実。
それに対しこれをUFOで説明しようとするならば、相対論に反する超光速での移動手段、文明のはるかに劣った地球にあらゆるリソースを費やしてやって来る理由、そこまでしてやってきてなおかつ姿を見せず親善や警告や技術供与など、あらゆる直接的意思表示をしてこない理由などなど、様々な仮説を設けなければなりません。
UFO信奉者が言うようにUFO墜落事故が本当だったり、ミステリーサークルがUFOの着陸跡だったり、家畜のミューティレーションが宇宙人のしわざだったり、人類の何人かを拉致してUFOで木星まで連れて行く逸話が本当だったりしたら、それに付随して何倍もの仮説を設けなければなりません。
論理学的に言うと、そのような数多くの仮説を設けなくて済む論法が最も信頼に足る、となります。
既存知識と未知の現象
と言うことで改めて、夜空に浮かぶ光点が既存の知識で説明可能な時に、それを押しのけてUFO飛来に結びつけるのは誤りです。
既存の知識で説明不可能な場合、それが米国航空宇宙局の言うところの未確認な飛行物体という意味でのUFOとなるでしょうが、科学で分からないことなどこの世にあるのは常識です。
「科学は万能」などと、本当の科学者は絶対口にしません。
分からないことは「今後も調べていきましょう」、これで良いのでは?
そこで宇宙人の乗り物論に飛びつくのは、真に事実に迫らんとする探究心からすれば不必要な衝動と言えるでしょう。
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