豊かであること(2)「エネルギーの交換」
部下のお母さんが亡くなりました。
コロナ禍の中での葬儀は家族数名のさみしいものとなり、部下もきちんと母親を送ってあげられなかったと傷ついている様子。
人事部に連絡したところ、「今回から弔慰金は給与と一緒に銀行振り込みになります」と言われ、ひっくり返りそうになりました。
コロナだから、手渡しがNGってこと??
手渡しで弔意を表すっていうのはもう古いスタイルなの??
傷ついた部下に、お金だけ振り込むの??
私の考え方が昭和なの??
他の会社の人たちにも聞いてみたところ、「もう何年も前から弔慰金は振り込みになっている」とか、「会社には現金置いていない」とか、「弔慰金を出金するのにも本人の申請が必要」とか。
自分的にはビックリするような話がたくさん出てきました。
私の、この違和感は何なのか……。
よくよく考えるとつまるところ、私は相手の悲しみに対して寄り添い慰さめの気持ちを表したいと思っていて、弔慰金はそれを「お金」という貨幣価値に置き換えている……と捉えているようです。
そのため、お金だけが行きかうこの状況に強烈な違和感を覚えている、のだと思います。
たぶん、結婚式のお祝い金もそう。
相手に対する喜びや祝福を「お金」に置き換えているので、これが「お祝い金はLINE P●Yで」となった瞬間にまた例の違和感がグイッ、と頭をもたげるのだと思います。
悲しみや喜びは、そのままのエネルギーで相手に届けたい。
お金を通してしかエネルギーの交換ができなくなってしまったこの世の中で、もう一度、そのままの熱量でやり取りをしたい。
それは面倒なことだし、踏み込みが深くなるから嫌がられるのかもしれないけれど。
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沖縄でマンゴーの木を相続した知人がいて、7月には数百個の実がなるのだそう。
販売するのも大変だから日本国中のおいしいもの、特産品と物々交換できないかなー、という話をしています。
その土地のおいしいものが届く。ありがとう、とお礼を伝える。遠い北国の人たちと交流が生まれる。
お金じゃない、いろいろなものがエネルギーとして行きかい、交換されていく。
手の中にある「お金」は少しかもしれない。
けれど心の財布は本当に豊かに、パンパンに膨らむんだなぁ、きっと。