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140日間、日記を書くために生きていたらnoteになった話
はじめに
はじめましてのあなた、はじめまして。
いつも読んでくださっているあなた、ありがとうございます。
お元気ですか?
noteって不思議ですね。毎日色んな方の記事を読むのに、私には今語りかけているあなたが元気なのかどうかが分かりません。
楽しい時だけnoteを書きたいという方もいれば、苦しくてどうしようもない時にnoteへ思いを書き連ねるという方もいると思います。
もしかすると、自分が今、楽しいのか苦しいのかも分からないまま、今が朝なのか夜なのかも分からない部屋でこの記事を斜め読みしている方もいるかもしれない。
それもいいかと思います。
かくいう私もそうでした。
今日は、眠り続けていたころの私が日記とnoteに出会うまでを告白します。
冬眠していた私が、日記と出会うまで
あのころの私は1日のほぼ大半を寝て過ごしていた。
ゴロゴロしていたわけではなく、文字通り眠り続けていた。
行きつけの喫茶店になんとか顔を出す以外の時間は、寝て過ごした。
今思えばなぜ喫茶店にだけ通えていたのか謎だが、1週間ほど行かない日があるとマスターから連絡が来るのだった。
寝て過ごしていると、脈絡なく過去を思い出すことがある。
私は思い出したことを文章につづった。
見せる人が思い付かなかったので、マスターに見せることにした。
「おもろいやないか!」
「そう?」と軽く返したが、私は内心嬉しくてたまらなかった。
これが去年の秋ごろの話だ。
しかし、そう毎日面白いことが書けるわけではない。
冬が来ると私はまた調子が悪くなった。
ある日、いつものように喫茶店に行くとマスターが
「日記を書いてみたらどうや?」と言う。
「僕は若い頃、毎日日記を書いてたことがある。
1日に何時間もかけて書くんや」
書くために、書くんや。
欲をこかんと書き続けなさい。
私は、日記を書き始めた
マスターに言われた翌日から、私は日記を書き始めた。
日記は5月5日から始まっている。
7:30起床。読書のあと、1日のスケジュールを考える。
9:00頃から散歩。川沿いに駅の近くまで歩いた。
O内温泉という銭湯を見かけたけど営業してるのかわからない。シャッターは閉まってた。
15:00~22:30営業の定休水曜日らしいが、ネット情報では臨時休業になってる。15時以降に見に行ってみようかな。
日記って何を「書かないか」が難しい。
10:30頃に昼食。しそ入りアジフライとひじきごはん。
今日から自炊を始めたけど、朝食は食べてない。無理して食べなくてもいいか。
ちなみに初日の日記は1427字ある。
このころは朝、昼、晩の1日3回、日記を書いていた。
やったこと、頭をふとよぎったことを全て日記に書く。ひたすらに書く。
「今日1日これだけのことをやった」ということを自分に言い聞かせるために日記を書いていた。
日記を書く以外に何をしていたかというと、読書録をつけていた。
5月15日の日記に「読書録をつけたら、これをなにかに仕上げてみたい」と書いている。
最初にpanpanya『枕魚』を読んだ。
panpanyaは、雑学に考察を介在させて虚構の世界へ連れて行くのが巧妙。
たくさん読むうち、どこからどこまでが事実なのか分かってきたような、分からないような。
緻密な風景描写、独特の解説文…これらをひとつひとつ調べていくと、現実と虚構の境界が見えて来るかもしれない。
調べてみたが、panpanyaについてのプロフィールは全くの不詳だ。
この作品を深く考察すれば、彼/彼女の人物像も浮かび上がってくるかもしれない。
私は、外へ出た
panpanyaが描く素朴で美しい町の風景描写を見ていたら、私も自分の町を歩きたくなった。
私は、外へ出た。
冬眠していたころの私は地面ばかり見て歩いていたが、日記を書き始めると町が急に彩りを取り戻した。
この通りは店がないので、家の目の前にも関わらず今までずっと注目してなかった。
ネタ探しにキョロキョロしながら写真をとる。後から調べて、面白そうなものがあればネタに昇格させよう。
商店の前に、気になるものを発見。
鞄やら人形が放り込まれた50cm四方くらいの箱に「御自由にお持ち帰りください」の文字が。
ピンクのクマのぬいぐるみをゲットした。タグに「ビーニーベイビーズ」とある。調べてみたら、アメリカの会社のぬいぐるみらしい。
世界規模で展開していて日本用のサイトもある。
wikipediaの「Ty(企業)」のページには会社設立の経緯や販売戦略が載っていてかなり興味深い…このクマで記事が1つ書けそう。
書き続けないとわからなかった、日記が私にくれたもの
元気になった
書き続けて気づいた、日記の意外な効能。それは体の変化だ。
毎日散歩を続けていると、一見同じに思える町並みにも昨日と今日で微妙な違いがある。
最初に注目したのは八百屋や魚屋に並ぶ食材たち。
春はアスパラのベーコン巻き、夏は焼きとうもろこし、秋になったらサンマの塩焼き…私は旬ものを食べ続けた。
食事の記録は1日3食、欠かさず日記に書き留めた。
この散歩と自炊のコンボが効いたらしい。
私を長年苦しめた不眠・便秘・むくみは全て消え去り、60kgあった体重が5ヶ月で8kg落ちた。
noterになった
冬眠していたころの私は、全てのSNSをやめてしまっていた。
今の自分に見せたいものなど何もないと思っていた。
しかし日記を始めて3週間ほどたったある日
日記を読み返していたら、そこに物語があることを発見した。
人に聞かせたい話ができた。
私がここに生きていることを、noteに示そう。
こうして私はnoterになった。
ライターになった
noteを始めて1カ月ほどたった6月某日。
私は、あの喫茶店で執筆作業をするようになっていた。
いい文章が思い付かずに苦しんでいると、マスターが近寄って来てこう言った。
「こういう文章で、これくらいの文字数で、締め切りがいつでっていう制約がないと、終わりがないやろ。
苦しいやろ。
それを他人に決めてもらうっていうのが、仕事ですよ。」
そうか。今まで私は、心のどこかで『仕事とは、お金を対価に他人に強いられるもの』だと思っていた。
できないことを他人に任せるのが、仕事の本質だったのか。
私は心あらたに、ライターとしての仕事を探し始めた。
そして今、私はライターとして働きながらnoteを続けている。
締め切りがあるのは時々苦しいが、ありがたいことだと思うようにしている。
日記を書いて140日。答えは私の中にあった
最後は、私が一番最近書いた日記から引用しておしまいにしよう。
これは、言うならば『日記についての日記』です。
日記を書き始めるまで、自分が考えたことは「人に話す」「SNSに発信する」「忘れる」の選択肢しかなかった。
そこに「日記を書く」というフェーズが加わったことで、私の日常は大きく変化した。
人に発信する前段階の「整理」ができるので、誤解やすれ違いのストレスが激減する。
発信する前に、日記に「整理」しただけで解決することもある。
日に3度、毎日書くことで、ちょっと行動すれば数分で解決すること、その日の午後には解決すること、1日やったことで見つかる次の課題があること、に気づいた。
記録をつけないと、せいぜい前々日までの悩みや解決法しか覚えていないらしい。
数日、1週間、1か月持ち続けていた悩みにも気づける。
逆に、達成し続けていることにも気づく。
これが自分の軸になっていくんだろう。
他人にも、自分の心にも振り回されずに、日記を頼りに生きていく。
これからの自分にとって、1番重要な何かを手にした。これは忘れてはいけない。
twitterの私も、ライターの仕事も、noteの私も、それぞれに大切な私ではあるが、誰かとの相関関係によってできあがってくる私の一面にすぎないのだ。
「日記」の自分を大事にしよう。