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清流・水源に気づかされる自分時間
国分寺駅からの散策開始。野がわに出会い、沿って数分歩く。
この清流は、この地域では、手でふれられる素敵な環境を構成している。その水の清らかさに、モノオモイがさらに進む。頭も体も活性化されているようだ。
犬を連れて歩く人も、その犬も、ゆっくりとした時間を楽しんでいるようだ。
「水」は人が生きていくために、なくてはならない資源だ。その水は安全な形で手元に届くが、水源の保護について考えたことがあっただろうか。
「水」に関心を持つことが大事ではないだろうか。
たまたま、琵琶湖の水位低下のニュースが飛び込んできた。14年ぶりに低水位らしい。
清流は、癒される場所
野がわのお鷹の道を歩くと、水源に出会う。
この水源からの水の恩恵により、美味しい農産物にも恵まれるのではないだろうか。
さらに清流・水源を訪れる
京都の貴船地域を歩いてみた。京都でも数えられる清流・水源で名高いところである。
京阪・出町柳から叡山電鉄に乗り、貴船口で下車。2時間程度の滞在になった。
今、清流・水源について考えることが必要
貴船を歩いた翌日、嵐山から広沢の池まで歩いてみた。
大覚寺から、広沢の池に向かう脇道は、歴史的風土ではあるが、私にとってはクリエイティブな発想をもたらしてくれる時間を与えてくれた。
清流・水源に訪れて、歩き、過ごすことが、いい時間と感じてやまない。
自分がコントロールすべき、有意義な時間のあり方をじっくり考える機会に、つながっているからだろう。