音楽(あなた)が生きる場所
何年か分 時間を巻き戻してほしい
叶わない願いが繰り返し浮かぶ
悔やんでも戻りも止まりもしない
時は無情に過ぎるだけ
春の朝 目にしたピアニストの訃報
数週間前に昔在籍したバンドの
古い仲間達とライブを行い
8月には再び共演する情報が出た後に
高校生の頃にラジオから流れ耳に残った
軽快なインストゥルメンタル
バンドを 新しい音楽ジャンルを知り
好きになるきっかけの曲を生んだのは
亡くなった彼だった
バンドのデビュー30周年で
昔と今のメンバーが集った時
アンコールでこの曲が奏でられ沸いた
サビの所でステージも客席も
音に合わせジャンプして盛り上がった
彼も弾きながら腰を浮かせ跳んだ
また会えると勝手に思っていた
13年前のこのライブが彼を観た最期に
梅雨の最中 この時と同じ場所で
バンドの公演を久し振りに観る
週番 出だしの音が会場に響き
あの曲だと気付くや一斉に押し寄せる
歓喜と懐かしさと涙と笑顔
サビに入るとステージでは
ジャンプしたり腰を浮かせたり
立てない客席は両腕を振り上げる
心で何度も跳んでいるよと
遠くにいってしまった彼に届けと
作曲者がいなくなっても
音楽は残る
古い仲間と若き新たな仲間に
曲は受け継がれ
奏でられ成長してゆく
音に込められた楽しさは変わらず
演奏して聴いて笑顔になれば
嬉しいよね
時を経ても
何処かで流れ誰かが弾いて
好きになり記憶に残り
生き続けてゆく
そういえば夏の高校野球の応援で
あの曲を吹奏楽の子達が奏でていたよ
-ほら 生きている
昨年夏秋の公募に投稿して玉砕した詩のサルベージシリーズその二。元は前作の『朱の空~』を書く時の初稿或いは吐き出すだけ吐き書いた大ラフから。こちらでは和泉宏隆さんに関連した箇所をまとめたというか若人の姿も書き込みたかったが和泉さんと『OMENS OF LOVE』に拘り偏ってもうたのが本音。当初タイトルもあちらが『朱の空』なんでこちらは『浅葱空、咆哮(こころ)を放て』と組になる感じで付けたのに清書手前で変更したのもまあすげー無理矢理で剛直球な読ませ方。タイトル自体は8月にふと沸いた言葉でいつかどこかで使うつもり、だったのが早々に使う事に。とへー。『浅葱空~』は改めて取り組みたいがどうなるかな。若人のことはむしろこれからのalphaの展開をみて書きたい気もあるが言葉が沸くかどうかは。
しみじみ春から今も感じている、思っていた以上に和泉さんに対し観に行けばよかったと悔やんでいるのを。スクェアのメンバーで誰が好きか、は昔はそこまで思っていなかった、曲は好きなのに。この一年近く延々と過去に戻りたがる辺り、亡くなって自覚する最悪な己が凄く情けない。今後もこの悔いを引き摺り時折言葉を連ね吐き出してゆくと思う。ただこれ以上新しい後悔を作らない為の行動もしてゆく。ライブを観に行く。状況と費用が厳しいから東海地方で開催のを。でもどんな形でも和泉さんの曲を聴いたら毎回泣くのは当分。