The place I dream of is unbreakable act.2 CASIOPEA3rd@ビルボードライブ横浜
1.決断から行きの道程
“波”が激しくなりつつあった昨年末に行われたEXシアターでのライブでビルボードライブ東京・横浜・大阪のツアー開催は発表された。年が明けた2月、淡い期待を抱きファンクラブでの先行予約で大阪の1stステージを抑えた。しかしまたも荒れ出し数字が毎日暴力的に増え当初の開場時間が変更されと都合がつかなくなった。4月になりツアーが始まり吐きそうな位悩んだ末に決断、家の者と話をした上でそこまでの往復乗車券を買ったのは横浜のライブ前日だった。
10日は朝から晴れた。ここ毎週土日は雨に見舞われていただけに久しぶりの気持ち良い青空を見ながら、名古屋へ向かう際にいつも利用する路線に乗り込んだ、マスクと薄手の布手袋を装備し。途中の駅で別の路線に乗り換え東へと動き出した快速列車の中で、不意に涙がわいてきて驚いた。なんでと考え出た心境は、多分一年数ヶ月間遠征を控え町に閉じ篭もり遠くへ行きたい衝動を抑えてきた日々からの解放、かな。動くことを心は求め続けやっと満たされ安堵しての涙、そう結論づけると相当自分の心が疲弊していたのかとしみじみ納得しつつ列車を更に乗り継ぎ非日常が始まる。
静岡からこだまを使ったが、新幹線ホームも自由席もガラガラ、使わず仕舞のままで3月に販売を終了したぷらっとシリーズの廃止も納得した。雲からひょっこり頭を出した富士山を拝み車掌さん、警備の人が通路を通り過ぎてゆく静かな車内をひととき過ごし、熱海で再び東海道線に戻った。海沿いを走る車窓を眺めわくわくしたが、小田原辺りから人が増え車内は込んでいった。越県しておいて旅行気分を味わっている場合じゃないと罪悪感を抱え横浜に着き、初めてきたみなとみらいに迷いそうになりながらも開場時間の2時を少し過ぎた頃ビルボードライブ横浜に到着、ついに。
真新しいレンガ作りっぽい建物に入り検温と消毒を行い受付カウンターへ。丁寧な応対と当日入店が出来てほっとしてしまい「ビルボードライブに来たのは初めてですか?」につい「ハイ」と返してから慌てて「大阪行きましたっ」と訂正←2015年と16年に。15年はわしのドッペルゲンガー作のレポがファンクラブ会報に載っているなぁ、なんて。
サービスエリアの自由席をお願いし案内され入った会場は生まれたての空気に満ちていた。豪勢なシャンデリアが幾つも吊された高い天井や客席側もステージも広くブルーノート名古屋よりも、と思ってから己の未練がましさにその場に崩れかかりたい衝動をひっそり耐えた。ステージにはドラムス→ベース→ギター→鍵盤ズが並んだ見慣れた配置、その大高さん側の1列目のテーブルを選び、4人掛けをひとり陣取りオリジナルドリンクが無いのを確認し、ジントニックを昼間から注文したらスタッフさん、少しびっくりしていた。吞まない風に見えたかね、自分。ビルボードライブのコーヒーにもそそられたが、大阪でも頼んだ其れを久しぶりに吞みたくなったのだ。
カラカラになった喉に爽やかなジントニックで潤し落ち着いてくると、なんだか緊張してきた。此れは2007~8年、久しぶりにライブハウスへ行き鳴瀬さんが居る野獣王国や野呂さんが始めたインスピを観る前に感じたものと同じ、後者は初ブルーノート名古屋でもあった。あの時は十年近く行ってなかったせい、今回の場合4人揃っては一年数ヶ月振り、でもその間色んな出来事があり自分の中で一年が十年位過ぎた感覚になり、音を受け止められるかとか聴いた途端に既に緩くなっている涙腺がぶっ壊れないかとかの不安から、だろうか。ともかく自分落ち着けとジントニックを流し込み、しかしどきどきソワソワで心が溢れそうな頃、時が来た。
2.『CASIOPEA3rd/2021 Billboard Live Tour』 at BillboardLive横浜 1st Stage
シャンデリアが一斉に消えるや拍手が起こる、自分も叩く。会場左側に声無くザワつく空気を感じライトが照らされるは、あぁ4人だ。溢れる寸前まで来た瞬間、4つの楽器が奏でるは『EYES OF THE MIND』、一期王道の曲はすぱんと緊張を断ち切り歓喜を秒で呼び起こした。会場に放たれる4人の今の音に体はしっかり動いた。足でリズムを拙く刻み手を打ち、マスク越しでメロディーを口ずさむ、今まで何度もそうしてきたこと全てを体は覚えていた。ところが突然「世界を終わらせない」という言葉がアタマに沸きびっくり。ぐるぐる回り出し止まらず心は焦りながら体は音にノるおかしな状況は、曲が終わる位になんとか落ち着かせた、メモの片隅に書き留めて。感動がおかしな方向にいったおかげで泣く事態にはならなかったのは、よかったと言うべきか。
さてステージは続いて『BLACK JOKE』『DAZZLING』と此れ等も何回も観た一期の名曲が並び空白の時を、ライブに行けなかった日々を埋めてゆく。思えばこの間はビルボードライブと同じライブ形式のブルーノート名古屋が8月に無くなり、一回目の宣言発令で延期された其処でのカシオペア3rdのライブが消えた。横浜での初ライブが行われた2週間後に改めて組まれたものの、廃業日の翌日になるとは。もし、と考えるのは愚かだろうか。どんなに仮定を積み重ねても、現実は、事実は、変わらない、変えられようがない。『DAZZLING』の終わり、以前は腕を上げ「ヘイ!」と掛け声が入ったが、今回は声は無く、腕を上げて盛り上げる。此れが今のライブなのだと直に感じる。
ご挨拶で野呂さんが昼3時開始に「いつもなら集合時間」としみじみ語り「みんな一緒に頑張りましょう」は色んな思いが乗っかっていた感じも。で、次に控えている曲にやたら戦々恐々な発言をしているから何じゃろうと構えて納得、久しぶりの『FREAK JACK』。ノる方も大変なスリルばっかりな難曲に心でひーひー言った後に来たのは、歩くみたいなベースライン。はたとなる間もなく『NEW HISTORY』が奏でられた。後のMCで「大高さんにとっては新曲」3rdでは初めて取り上げた其れは、難曲の後に聴くとよりゆったり、しかし今はよりベースが強く出ている曲になった。『GOLDEN WAVES』もゆったりと且つ雄大で、波が付いているけど今この時期は桜の花びらを舞い降らせたい気分に。特に後半のギターソロは心の中でわさわさ舞わせ、2ndコーナーが終わったところで聴かせる曲が多いと思った。
ここからは野呂さん命名「アラカルトコーナー」に。まずは自身のからと『CATCH THE WIND』を座ってノリノリで。この一年何度も見たライブソフト『CELEBRATE40th』の始まりの曲でもあるので懐かしくも。次は大高さんがマイクを持ち曲説明と宣伝部長のお仕事は5月末のファンミーティングの宣伝とスペシャルゲストはヘリで来られないとの話をして『JKG』、音の密度が高くスリリングなイケイケなひとときは『FREAK JACK』を聴いた後だけに今回のツアーは難曲フェアでもあり、急の次は緩な構成かな、とも。鳴瀬さんは前日に情報解禁したベースマガジン最新号の、自身がどーんと飾る表紙を拡大化したものを観客に嬉々と見せ宣伝した。表紙を一緒に飾った若人が名古屋民と知り個人的に親しみが沸いた。その若人が所属するバンドの名が音楽記号由来、という訳で野呂さんにしゃらーんと音で名を表現する一幕も。表紙を持ってきたスタッフの堀内さんがこの春専門学校の先生になった話も茶化しながらも嬉しそうだったり。鳴瀬さんが持ってきたのはファンキーな『Ui Uiz U Uiz Us』、曲間のダンスが結局上手く出来なかったままのを思い出し苦笑いをしつつ心で踊った。そしてここまで2015→16→18と年を追う流れに気付き、ならば神保さんの選曲は19年の『SPACE LOCOMOTION』現時点の最新アルバムに辿り着く。ただ今回は少し変えられていて指さし振りのクイの所は大高さんも弾いていて、野呂さんが指さしするのを見ながら、立たなくても盛り上がれるダンスだからこそ大きく力を込め両の腕と指を動かした。演奏前に神保さんは孫が産まれたから声出しが出来るようになった暁には「じじんぼ」と呼んでほしいとの話が出て、早くそうコールしたい、此れからへの楽しみがひとつ出来る。
ライブはもう終盤、「一番新しい曲と古い曲」と野呂さんが紹介し『BEYOND THE GALAXY』と『ASAYAKE』で盛り上がった。今振り返ると宇宙な其れと地球上の光景の其れが並んだ。『ASAYAKE』は配信で何度も見た掛け声の無い腕の振り上げを、自分もする体験をついに。声を上げられないなら盛り上げたい気持ちを右腕に込め、ステージに向けて振り上げた。ずっと欲していた、熱を、音を、体全部で浴び感じた。
ひたすらにひたむきに鳴り響く拍手でアンコールを求め、ステージに戻ってきた4人が奏でたのはパワフルで華やかな『TOP WIND』。風で吹き飛ばせるものなら、いまだ正体が掴めない厄介なものやそこかしこで燻っている心や飛び交う痛い言葉とかを彼方にすっ飛ばして、スタンディングも声出しも、序でに誰かさんの客席乱入も自由に楽しくやれる空間を取り戻せたら、と妄想全開な夢を片隅でみながら手を打ち音にノる、今。ラスト、間隔を空けステージ前面に立つ4人の深く長いお辞儀にただ感謝と応援の拍手を送る。これが今の精一杯。そうして去ってゆく背を見送って、本当にあっという間の、特別で大切な一時間数十分が、終わった。
3.帰路、そして翌日以降思うこと
2ndステージも観たい欲を抑え込み、5時になる前に場を離れると空はまだ青く日も高かった。スマホを開きNAVITIMEにアクセスすると東海道本線一部区間延滞の情報が来ていて、こりゃ帰りも臨機応変に動かねばな状況を、手袋を再びはめながら受け入れJRの駅へ向かう。その道すがら横浜の街をスマホに残す、ここに来た証を、又来る時の道標代わりに。
手段を幾つも考え悩んだ末横浜駅で決断、まず熱海まで東海道線を利用した。神奈川県内を出るまで車内が込んでいたのは、夕方で県内で遊び働く人たちが帰る時間帯だったからか。熱海駅に定刻通りに着いた頃には延滞は無くなっていたが、ここで移動を新幹線に替える。すっかり夜になった熱海駅のホームは人気無く、のぞみの通過音の他は静か。待つ間、缶コーヒーを持つ手がじんわり痛み、また涙がぶわっと来る。思いきり手拍子をしたから痛くなるのは当たり前、それよりも安堵が大きかった。みんな元気で良い音を奏でてくれたこと、やっとライブが観られたことの。でもまだ気は抜けない。マスクも手袋もして、がらがらのこだまに乗り静岡で人が結構乗っていたひかりに乗り換え無事名古屋に到着し、帰宅。一時間数十分の為の久々のひとりきりの大移動は常に気を付けてしかし気を荒立てず往復し、長い非日常な一日を終え日常に戻った。
翌日は午前に犬さんの三回忌法要をお寺で行い帰宅後は家事をしながら感じる、気持ちが軽い。グダグダ煮詰まっていたものがある程度治まり、頑張れる、と共にとても単純な己を自覚した。ライブは気持ちを前向きにし背中を押す“力”が有るのだと表せば格好いい風に聞こえるが、それだけライブやバンドさんたちに重めに寄っかかっていた己の弱さを改めて認識する。数日後、ファンクラブ事務所に大阪ライブのキャンセル申し出のメールを申し訳なさに押し潰されそうな気持ちで送り、翌日には返信が届く。帰宅後の夜から2週間、毎日検温しおかしな体温変化も無かった事を付記しておく。
ところで「“世界”を終わらせない」は翌日以降も自分の中に在り続け、このレポート執筆と平行して考えた。この“世界”は地球とか五大陸とかの広い其れ、ではなく音楽、更にはエンターテイメントが作る場を指している、と思う。この一年で幾つもの音楽を楽しむ場が消えてゆき、場を盛り上げた名だたるミュージシャンが去り、哀しい辛い等の感情が占め心がプラスになかなか向かなかった。決断の勢いのままライブに対し冷ややかな眼が向けられていた去年開店したビルボードライブ横浜に行き、CASIOPEA3rdの今の音を直に聴き、集まった観客の今の盛り上がる様を直に見て、この空間を“世界”を、ミュージシャンと観客が作る熱を楽しい時間を、無くしてはいけないと強く思ったから件の言葉がばーんと来たのだろう。強い調子ではあるが決意であり形に例えるなら盾、世間に対しての。この辺りは又今後突き詰めてゆき詩の形にしたい。好きの気持ちを拙いながらも言葉にしてゆこう。-“世界”を終わらせない、為に。挫けるな、自分。と熱血モードで締め、ラストに開店間もない去年8月に行われたその横浜のライブを一部収録した動画を載せる、場の紹介と合わせ。
という訳で動きました、行ってきましたよ。ぬけがけして済みませんな気持ちは決断から今もあり、後本当に万が一が起こる可能性も考え、同じ場に居た方へのリプライと自虐匂わせツイート一つだけに。その分ここにほぼほぼぶつけました。おかげで今まで敬遠していた見出し、付けます。移動話しがうっとうしい人は飛ばしていいっすよー。
鈍行列車移動は経費節減とそもそも鉄道好きなんで。NAVITIME使っての乗り継ぎは初めてだから、行きは前日に組みメモしましたが、帰りはアプリだけでやれたなぁ。行きの愛知県内移動ではマウンテンバイク乗せていた人もいました。静岡県内移動時も結構人は多かったなぁ。逆にこだまの人の少なさは心配。ぷらっとは去年末の六本木に行けたら使おうか考えていましたが、幻に。
ライブ中ですが、一声二声は後方からしてましたが、それくらいでした。鳴瀬さんがツッコミ無くてフクザツそうな調子なのも、直に観るとより。サービスエリアは四人掛けテーブルを一グループにしていた感じでした、感染対策のひとつでしょうな。実際隣の指定席も後ろの自由席も私同様一人の人が一つのテーブルを使ってました。何処ぞから見たらおかしな振り分けに感じたのでしょうが、知らない人との相席も当分は無理だからこそな現状では。飲食でテーブルにパーティションはいいが、それを置かれた中でライブは観たくないぞ。ビニール幕も販売スペースとかは是非ともだがステージ前面には、なぁ。
今冷静に過去のライブを振り返ると最中に言葉がわくって無かったから、行き帰りの涙然り特に今回のわしの情緒は変でした、ハイ。件の言葉は平行してぐだぐだメモに書き連ねましたが、これからより突っ込んで書いてゆこうかと。その前に今回3番初演奏の『NEW HISTORY』がきっかけで大ボケをかましたことが判明しそこからまあ身内ウケ的な記事かな?を近日中にnoteにアップします。その大ボケもわしのページにばっちり見られますよーん、トホホ。この作業と合わせ今回のを整理してファンクラブに送るレポートも書こう。しかし、件のもそう感じたが、メインタイトルに出た『unbreakable』も強い言葉、だね。
最後に。終わりの所で去った人、の表現は当初は名前がつらつらと出してましたが、深夜4時近くに打ち込みしている中読んでいてしんどくなり外しました。が、よもやの今朝方、でした。音楽は残る、うん。たださ、と言いたい言葉は今は吞み込んで忘れないよう心に留め、今回のレポートを終わります。次、がありますように。