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ibaraki_nakai
魂を駆動させるもの ~2012 4月-パターン2~
魂が朽ちるまで“今”を否定し続けるのかい?
脳が何もかも忘れてしまうその瞬間まで
“昔”に縋りついて生きたいかい?
未来に絶望したまま死にたいかい?
仔犬を可愛いと抱き上げ
成犬を大きいと恐がる
君はコドモだね
成長は生きている証
仔犬が子供のままでいられる訳がない
変化を恐れるなら
ぬいぐるみを抱いていろ
作りものの可愛さで満足しているがいい
ライブは“今”そのもの
昨日と同じ時場所楽器人が揃っても
同じものにはならない
同じ曲を演奏しても
コピーのようにそのままの音ではない
違うニュアンスが出る
生きている人が奏でているのだから
バンドは“人”で出来ている
何人か音楽好きが楽器片手に集まり奏でる
人ひとりの変化は
バンドにも変化をもたらす
音然り
心も然り
君が30年前の音を望み
その頃共に居た人達を求め
今 奏でて
同じものと思えるだろうか?
その音に満足できるのか?
違っていたら 拒むのかい?
昨日には戻れない
今日を生き
明日を想う
日々は流れ
変わってゆく
何もかも
CDを繰り返し聴いて
昔を懐かしみ
戻りたいと願うより
ライブを観て
今を楽しみたい
次を待ちたい
30年後 この音に直に触れられるかは-
だからこその“今”
生きているこの時と
続く限りの未来を
求める
ばーと言葉を思い付くままに書き殴ったメモを整理して書いていく内に解釈が変わる時もありますが、この詩は読んでみての通り挑発と皮肉全開な内容。パターン1が再開を知った直後の喜びをそのまま書いたのに対し、2はその後有名匿名掲示板のスレッドに並ぶ批判を読んでから書いたようで文に怒り憤り苛立ちが込められた、と思います、記憶がもう定かじゃなくて。着地点は同じ活動再開を見守る、なんで似たもの扱いにしました。
以前からそこを覗いていたのは興味本位、だけじゃないんです。この辺りは大っぴらには話せませんが、読んでて精神には良くなかった場でしたわ、ため息。ここで見たことについては続きます、小説とか組曲で例えるところの第二章へと。今回のは1.5章です。二章で又そこのことは語ろうかと。
後、こーいうキツい文も書きますよという自分を出すのも今回のアップの目的でもあります。前向き・熱血・鼻がむず痒くなる言葉とは逆の言葉も持ってます。色々な言葉の重なり繋がり紡がれるのを読んでいただきたく。さて二章はどうだろうなぁ。