空想「廃れない本屋とトイレ」
なぜ本屋は廃れないといいのか。
私はなぜ本屋がつぶれないといいと思うのか。
それは、好きな本を安くたくさん手に入れたいからである。
知識欲とかそんな簡単なことではない。
本を読み終えた達成感だけでもなく。
なぜ本がこんなに好きなのだろう。
きっとてんこ盛りの理由がある。
最近本を探していて思うのは、読みたいなと思う本が高い。
ああ、この本読みたいなと思うと、3,000円を超えているものもある。
それに、部屋にはそんなにスペースはない。お金もない。
そこで思った。
なんとか本が安く手に入れられないか。
古本屋を利用すればいいと思うだろうが。
そこでも思ったのだが、古本屋に並ぶということは、いったん誰かが買わないと、古本屋に並ばないのではないかということだった。
本を買わなくなるということは、回りまわって、古本屋に並ぶ本も圧倒的に少なくなる。
それに、最近、古本でも高くなったように感じるから、ますます読書好きとしては危機感がつのる。
本が高くなる。
専ら、文庫を買うことが多くなった。
だって単行本は高い。
情報量は、文庫でも単行本でも一緒。
さらに文庫本の方が、あとがきが増えている場合もある。
場所も取らない。
だから、私のような本を愛するひとたちが、もっと本を手に取れるように、裾野を広げるために、また考えてみた。
本屋に対しての思いをいくつかの層に分けて考えなくてはいけないのではないかと思った。
本を日常的に読むひと。たまに読むひと。全く興味ないひと。
全部一緒だと考えると、やはり積極的に本を探すひとととそうではないひととは、選び方も出会い方も違いがある。
今、音楽でも映画でも、昔のように多くのひとが同時に楽しむということが少なくなっているように思う。
一部の詳しいひとが知る深掘りの領域と、一見さんみたいなひとでは、根本的な向き合い方が違う。
「誰もが」というのが、キーワードになりそうだと思った。
そこでひとつ思ったのが、誰でも出かけるときに、必要となるものは何かということだった。
それが、なんと「トイレと水」だった。
どういうことかというと、ブックカフェや何かグッズと一緒に本を売るところは増えているが、ブックカフェが儲かっても、本が売れないのでは、本は安くならないのである。
まず本屋に人を呼ぶことだと思った。そこにだけ注目した。
なんせ「図書館や本屋に行くとトイレに行きたくなる現象」は、確か「青木まりこ現象」という名前までついているのだ。
何しろ腸活も叫ばれる今、本屋に大きく、
「トイレあります」
「水も飲めます」
と書いてあったら、トイレに行くために、とりあえず本屋に入るのではないか。
「トイレ解放」こそ、珈琲より、人が呼べるのではないか。
入口からトイレに入るまでにディスプレイを考えて、興味のありそうな本を目にするレイアウトにするのはどうか?
トイレから出口にはどう見せるか。
トイレに行くまでと店を出るまでの通路をどうにか販売につなげられないかと思ったのでした。
「水も飲めます」は、本屋さんで水を飲んだら、少し休んでいくのではないか。
実質的な本屋さんでの滞在時間を増やすことで、本を買ってくれて、本代が安くならないかと思った。
あともう一つ思ったのは、「トイレ掃除」をどうするか問題だ。
そりゃ多くのひとがトイレを利用したら、掃除するひとも必要となってくるだろう。
そのための人員を雇うお金も本屋さんには、きっとないのではないか。
店員さんの負担も少なくしたい。
その結果、本屋さんのトイレ掃除専用要員の募集である。
決まった日時に行き、トイレ掃除をする。
すると、スタンプが溜まり、店で本を買うときに割引される。
月に1,000円ぐらい安くなるなら、やってもいいというひとが現れるのではないか。
そもそもトイレのない本屋もあるのだろうか。
その難題は少々難しい。
新しく作れとも言えない。
あとは、日常的に本屋を訪れる習慣をどう作っていくかがとても大事で、それこそが「廃れない本屋」なのではないかと思った。
つらつらと今日、思いついたことを書いてみました。
「本好きが増えて、
どうか好きな本がどんどん安く作られる世界でありますように」
(おしまい)