エッセイ「もやもや嫌い」
今まで生きてきて、気づかなかったけれども。私は、もやもやしている状態が、とても苦手なのだと思う。
「白黒はっきり」
というのも違う。と、思いたいけど。
わからないことをしっかり知りたいと思う。
「あの人の行動にはどういう原因があるのだろう」
「どうしてあんなことをあの人は言うのだろう」
だから、私が興味を持つひとは、常識的なことを言うより、ちょっと変なひとだ。
なんか変わってるって思われていそうな人の方に興味がある。
「結局性格悪いだけだな」
と相手に思うこともあるけど。
人のこともそう意味がわからない行動に興味を持つけれども。
自分のもやもやした気持ち、わからないこと。
そういうものをきちんと知りたい。
なんなら、裏側まで知りたい。
嫌われているなら、何が原因かはっきりさせたい。
昔、仲間外れをされたことがあるけど、その人の部屋にまで行き、
「どういうことですか?」
と問い詰めたことがある。昔のこと。
かなり仲間はずれというものをされたけど、なんかそんなにダメージを受けないで、やってきたように思う。きっとちょっと変わり者だ。
根底には、
「嫌われてるなら、別にいい」
「それ以上もそれ以下もない」
「去る者は追わず」
結局、白か黒かに分けたいだけかも。
「友達かもしれない。嫌われてるかもしれない」
とあいまいなところでは、納得しないから。
結構、白黒人間なのかもしれない。
人の行動の不明瞭なところまで、掘り下げて考えるのは、ずっと昔からの癖だった。
「頭の上のハエも追えないのに、人の話で興味を持つと、そっちを考えてしまう」
で、何か結局言いたいのかというと、めちゃくちゃ私は自己主張が強いという結論を見出しまして。
少し前までは、本は、遠慮がちに主張すると思っていて、楽しいものだとずっと信じて疑わなかったのだけども。
本は、開かれるまでは、今でも遠慮がちなものかもしれないが。
でも、開かれた途端、個性、作者の主張がとことん述べられるめちゃくちゃ自己主張の強い媒体なのではないかと。
音楽のように、歌詞と音があるわけでもない。
映画のように風景がうつりこむこともない。
ただ延々に作者の主張や言いたいこと、作り出した世界の中に入っていく。
言葉によって作者と読者だけが存在する。
それってすっごい自己主張の塊のようなものだなと。
だから、自分が一番って思っている人は、他の人の意見を聞くために本を読めと言いたくなるのも、納得の流れだ。
元々、私は、本好きは本好きだと思うけど、なんでも読める人ではないのである。
読書家の中には、読めと言われれば、なんでも読める人っているじゃないですか?
私は、文体なのか、文章なのか、読めない本があるのである。
さらに書くようになって、物語を読むのが減ってしまった。なかなか世界に入っていけない。たぶん自分の書きたいことが充満しているから。
その理由は、書いている作家と性格が合わないんじゃないか。
そこで一つもやもやは今の時点で解決したのである。
「あたしの本選びは、好き嫌いに満ちている」
それがわかっただけで、白黒はっきりした。
やっぱり白黒で判断する癖のあることもわかった。
ここまでどうでもいい話に付き合ってくれてありがとうございます。
(おしまい)
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