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文明の息

 奇妙な人物がやって来たと、K氏は受付から連絡を受けた。とにかくK氏と会いたいと言っているとのことだった。訝(いぶか)しく思いながらも、K氏その人物を応接室に通すように命令した。

 現れたのは、K氏の予想を遥かに越える奇妙な人物だった。

 その人物は目が眩むほどに発光していた。K氏が咄嗟にサングラスをかけると、そこには少年のようなシルエットが現れたが、頭からカタツムリのような触角を二本、腕は六本あり、さらには尻尾まで生やしていた。

「御無沙汰しております」

 少女のような澄んだ声でその人物は言った。口が見当たらないから声のみが聞こえてくる。

「……申し訳ないですが、どこかでお会いしたことがありましたか?」

 K氏はあくまで丁重に訊ねた。

「あぁ、覚えていらっしゃいませんか。まぁ、無理もありませんね。あれから早二十年も経ったことですし、あの時は私の二十代の女性の姿であなたに接触しましたから。加えて、あなたは大分酩酊していらっしゃいましたしね」

 K氏にますます猜疑心が募った。

「改めて自己紹介をさせて頂きます。私は『文明の息』と申します」

「ぶんめいのいき? それを言うなら文明の利器でしょう。 私をからかっているのですか?」

「いいえ、私はいたって真面目です。その証拠に、私は本来の姿で参上したのですから」

 話にならないな、とK氏は思った。そして文明の息なる人物を出来るだけ早く帰えそうと、言葉を選ぶ。

「それで、一体私に何のご用でしょうか」

「はい、あの日お渡しした『息』を『引き取り』に伺いました」

 K氏はしばらくの間声を出すことが出来なかった

「あの日、あなたと私は一軒の居酒屋で出会いました。あなたは大分酔っていらっしゃいましたが、あなたが私に語ってくださった未来想像図は感動の一言でした。そこで私はあなたに『息』を、もとより『生命の息吹』を授けたのです」

「せいめいの、いぶき……?」

「生命の進化を促すエネルギー源のようなものと、お考えください。過去の実例では、光合成ができるバクテリアが現れたり、ミトコンドリアを取り込んだ真核生物が現れたり、陸上に進出する魚類が現れたりしました。あなた方人間の子孫に与えた時には、ついに文明を持つようになり、感動したのをよく覚えています。以降、人間に『息を吹き込む』ことが増えたため、自らを『文明の息』と名乗っております」

 なんて眉唾ものの話だ、とK氏は辟易とした。生物史やファンタジーの書籍をパラパラと読んで得た浅知恵に違いないと、決め付ける。

「私が授けた『息』によって、あなたは後世にまで語り継がれる素晴らしい発明をされました。それはこの世界の文明水準を一気に二つ、三つ上げた大偉業です。人間の過去の出来事と比較しても、産業革命を超越するものだったでしょう。さらには二十年間も『息が続いた』ことは、私にも予想外でした。あなたの活躍ぶりには大変驚いております」

「そ、それはどうも……」

「ですが、さすがにもう限界のようです。あと一月もすれば『息絶えて』しまうでしょう」

「い、息絶える、だと?!」

 K氏は思わず身構える。

「そうなる前に、あなたから『息抜き』をし、あらたな生物に『息継ぎ』をしなければなりません」

 K氏の心に、沸々と恐怖が浮かび上がってきた。先程まではソファにデンと腰を落としていたのに、前屈みになって指先を世話しなく動かし始めた。

「ちなみに、『息抜き』をされた場合、私はどうなるんですか? まさか『息を引き取ります』なんて、笑えない冗談を言うつもりじゃないでしょうな……?」

「ハハハ、なかなかユニークなことをおっしゃいますね」

 K氏は思わず文明の息を睨んだ。

「いや、これは失礼致しました。ご安心ください、あなたのお身体には何の影響を及ぼしません」

「そ、そうかですか! それなら――」

「ですが、貴社は程なく衰退するでしょう」

「なっ!?」

 Kは思わず立ち上がった。

「こればかりは申し訳ありません」

 文明の息は頭を下げる。

「人間にしてはあまりにも『息が長かった』のために、周囲への影響も少なからずあるのです。どうかご理解頂きたい」

「ふ、ふざけるな!」

 K氏は顔を真っ赤にして叫ぶ。

「この会社は私の命と同等だ! 貴様なんぞに会社を殺されてたまるか!!」

「あくまでも衰退です。あなたの頑張り次第で息を吹き返すことはできます」

「無責任なことを言うな! 駄目だ、この『息』はお前にはやらん!」

「そんなことをしても無駄です。あと一月もすれば『息絶えて』しまうのですから。そうなった場合、この世界の存続に関わります」

「世界の存続だ?! そんなこと知るか!」

 K氏は応接室から逃げだろうとした。だが、突然K氏の身体は凍ったように動かなくなり、その場に倒れた。

「手荒なことはしたくありませんでしたが、致し方ありません」

 文明の息はK氏に歩み寄ると、K氏の背中に手を翳(かざ)した。

 ややあって、ビー玉大の、淡く光り輝く「息」が姿を現した。文明の息はそれを手に収めると、躊躇なく飲み込んだ。そしてほどなく、彼は霞のように消え去った。

「息」を失ったK氏の会社は、あれよあれよいう間に業績を落とした。K氏は息つく暇もなく働いた。だが、まるで成果を出すことができず、間もなく息を引き取った。ほどなく会社も倒産した。

 社会に暗澹(あんたん)たる空気が流れているのを余所に、新たに「息継ぎ」をされたある生物は、暗い海の中で悠々と泳いでいた。今後この生物は目醒ましい進化を遂げ、人間に変わって世界を席巻することになるのだが、それはまだまだ先の話である。

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