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映画感想 ファスビンダー傑作選2024『自由の暴力』『リリー・マルレーン』『エフィ・ブリースト』

Bunkamuraル・シネマで、ファスビンダー傑作選2024『自由の暴力』『リリー・マルレーン』『エフィ・ブリースト』を観てきた。
一日に続けて何本も映画観るといつも肩がバキバキのお終いになる。
本記事は映画の内容に関するネタバレを多分に含みます。

『自由の暴力』(1974)は、同性愛者であるファスビンダー監督が男性同性愛者を初めて正面から扱った作品。多くの作品で男女のメロドラマを通して社会の構造的な悲劇を描き出してきたファスビンダーだが、本作の主人公も苦々しい破滅を辿る。
執念深く描かれているのは、近年のクィア映画にあるような開放的な志向ではなく、差別され閉じられたコミュニティの内部での抑圧的な関係性。
ホモソーシャルかつセクシュアルな関係のなかで主人公フランツは周囲の男性から性的にも経済的にも搾取を受け、最後は命を失う。
彼はつねに、マイノリティが周囲から受ける偏見や差別や抑圧とそれ故に陥る過失や破滅を、冷徹で明晰な眼差しで描き出す。そこにモラリスティックな辻褄合わせや誤魔化しの救いは存在しない。

↑noteを書いていたらこんな呟きが流れてきて、本当にそうだなと思った。もちろん救いのある物語だって誰かにとって必要なのだけれど、「よかったよかった」で終わらない裂傷が世界のそこかしこにあって、その欺瞞から決して目を逸らさないところにファスビンダーの作家性があると想う。

『リリー・マルレーン』(1980)は戦後ドイツ映画の復興を賭けた一大プロジェクトとして製作されヒットを収めた作品。
まず戦時にナチスドイツで生まれ世界的に流行した歌「リリー・マルレーン」という題材、そしてハンナ・シグラという女優の起用が先にあり、シグラの意思からファスビンダーが監督を務めることとなった、と上映後のトークで語っていた。

印象に残ったのは主人公が「リリー・マルレーン」をステージで歌うシーンにモンタージュされる戦場の映像。兵営でラジオから聞こえる歌に故郷を想う兵士たちの疲れ果てた顔。戦場で勇ましく駆け、吹き飛んでいく彼等の肉体。銃撃。爆発。血。戦闘シーンは『戦争のはらわた』(1977)のアウトテイクを用いているとのこと。
故郷に残してきた恋人を想う歌に戦意高揚のプロパガンダ的な響きは全く無く、むしろ厭戦的なムードすら漂う。しかし哀しくも力強い歌声が流れるなかで戦士たちが散っていく様子は対照的ながら何処か調和すら感じる。そこに描かれているのは大衆娯楽と戦争の協調関係である。

また、主人公の想い人であるユダヤ人の男性の描かれ方も面白い。金持ちで教養があり音楽家として成功を収めるユダヤ人の男と、ナチズムの中で認められ出世する裕福ではないドイツ人の女。あからさまなステレオタイプを逆手に取って鋭く分断を描き出す手法には、しばしば非難が巻き起こった。彼等がドイツに潜入してユダヤ人の救出活動を行う様子がいかにも怪しげなスパイのように描かれるのも、ユダヤ人に向けられる陰謀論的なスティグマを観客へと現前させている。
ドイツ映画の一大プロジェクトとしてのスペクタクルと、ファスビンダーらしい毒の強い批判性を併せ持つ作品。


『エフィ・ブリースト』(1974)は、ドイツ人作家テオドール・フォンターナの小説を映画化したモノクロ作品。映画らしいオリジナリティーを生むのでもなく忠実に自然に再現するのでもなく、白黒の映像の合間に、文字で地の文を差し挟み、文学らしさを強調するスタイルが独特だった。物語は、家父長制や社会道徳によって抑圧される女性の姿を描く、いかにもという感じのメロドラマ。
三本目に観た映画だったので、疲れてちょっとうつらうつらしてしまった。スミマセン。映画を一日に何本も観るのを仕事にしている人はすごいなあ。


四方田犬彦がファスビンダーのメロドラマについて「すべて天の呪い給うところ」と書き表していたのを思い出す。ダグラス・サークの『天が許し給うすべて』をもじった表現だが、彼の作家性を短く表すのにここまで的確な言葉もないだろうと思う。
差別や分断といった世界の傷を覆い隠すことなく曝け出す暴力的なまでの鋭さが観客の胸にも傷痕を残す。時はすべてを癒すと言うが、癒えないままに忘れられる取り返しのつかない傷が世にあることをよく考える。そういつことについて、どうやって考えて、どう書いたらいいんだろうなー。

頭がこんがらがって疲れてきたから、この辺で。
それではまた、おやすみなさい、、、。

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