Slay the Spireを200時間も遊んだくせにハマった理由が見えなさすぎてタイムスリップした
お世話になっている媒体の副編集長が書いた「『昔のゲームの方が想像力を刺激されて良かった』は本当か」を読み、そういえばぼくも昔「ゲームと想像力」みたいな話書いてみたものの、いまいち面白くならなくてオクラにしたっけなーと思い出した。そこまで関連性のある話でもないけれど、副編集長も「もっと他人の駄話を読みたい」と言っていることだし、試しにnoteで供養してみよう――そんなわけで、カードゲーム「Slay the Spire」にドハマリしていた2年前に書いた駄話へ少々手を加えてみた。
2018
Steamで販売中のカードゲーム「Slay the Spire」にドハマリしている。通算プレイ時間が200時間をオーバーしたぐらいだから、相当ツボに入ったはずなのだけど、そこまで遊び込んだゲームの魅力をうまく言語化できず、ぼくはほとほと困り果てている。ほぼ開店休業状態とはいえ、ゲームライターのくせに恥ずかしい。
同作はランダムに配られるカードでデッキを組んで戦い、モンスターがひしめく塔を上り詰めていく、いわゆるローグライトな作品だ。慣れればワンプレイが小一時間程度で終わる手軽さは、くたびれた生活の合間に遊ぶのに丁度いい――ハマった理由はそんなもんだろうと、ぼくはいったん雑な答えを出した。しかし、隙間時間を埋めたいだけなら巷にコンテンツはあふれているのだし、秀作とはいえわざわざPCを起動してこんなこぢんまりとしたゲームを遊ぶまでの理由にはならない。もう少し考えよう。
敵のHPを削る攻撃系、被ダメージを抑える防御系、主人公の基礎ステータスを上げる強化系、敵に毒を盛るといった弱体系等々、同作にはさまざまなカードが登場する。ショップやイベントでも手に入るが、基本的な入手方法は、各フロアでの戦闘。勝利後にランダムで出てくる3種類から1枚もらえる。
プレイヤーにある程度の選択権があるとはいえ運の要素が強く、プレイするたびに主人公は違った方向へ成長する。ヒキの弱さで何者にもなれぬまま力尽きるケースが大多数ではあるけれど、ランダムでやってくるカードやらアイテムやらを上手にアドリブで合わせていければ、「とにかくバフを積んで一撃必殺を狙う脳筋」「相手に毒を盛ってじわじわ苦しめる性格の悪そうな暗殺者」「3部のディオよろしくナイフを山ほどばらまく悪魔」「張り巡らせたファンネルで敵をゴッソリ削るオートマトン」など、さまざまなスタイルのつわものができあがる。
と、ここまで整理したところで、ようやくハマった理由が見えてきた。ぼくはこの戦闘における「カードの効果を組み合わせて最高効率を出す算数」から、脳内に毎回違う「わしがそだてたさいきょうのせんし」をイメージできるのが楽しかったのだ。きれいなコンボが決まると、「『不動』の力で+30ブロック! 『塹壕』の効果で2倍、60ブロック! 『スープレックス』でブロックをアタックに変換・『ダブルタップ』で2連続発動……お前のHP100を上回る120アタックだーっ!」と、ウォーズマン口調の武藤遊戯みたいなやつが脳内で暴れ出して、とても気持ちよかったのだ――。
――と、それっぽい結論に着地したとき、ふっと懐かしい感覚が脳裏によみがえった。そんな脳内の遊び、ファミコンに触れる前からやってたなと。人生をもっと振り返れば、「Slay the Spire」の面白さが、もうちょっと自分の中で整理できるかもしれない。
197X~
ぼくは「空想の遊び」と名付けた独り遊びが大好きな子どもだった。ラジコン飛行機を買ってもらえないからと、「空想のラジコン」を飛ばしてエアプレイしていたのび太の影響だ。ぼくはヒーローに変身した自分を思い描き、寝室でドタバタ跳ね回りながら見えない何かと戦っていた。その狂態は両親には温かく見守られていたが、年の離れた姉や兄からは冷ややかな視線が浴びせられた。
このフワフワした遊びは5歳ごろに始まったのだが、イタズラ好きの兄がこっそりエアーサロンパスを噴霧し、強烈なにおいで僕を現実へ引き戻した事件がきっかけで10歳ごろに終わった。思い出したら腹が立ったので、いつか地味な復讐をしようと思う。
ただ要因としては、父を拝み倒して買ってもらったファミコンに、空想の舞台が移ったのが大きいように思う。幾度のすれ違いを経てようやく出会ったサマルトリアの王子を弟のようにかわいがったり、オリジナルの野球チームを作って各選手の生い立ちや関係性まで設定したり――ゲームは空想の良きパートナーとなり、新しい世界をぼくにもたらした。ひょっとするとゲームそのものよりも、それを土台に作った空想のほうが好きだったかもしれない。
199X~
その後ぼくは世の中にライターなる仕事があると知って憧れを抱きながら育ち、大学を出たのち某ゲーム専門誌の編集部へバイトで潜り込んだ。思い返せば単なるブラックあるあるだった気もするが、ド新人ながらも早々に記事を任されて得意になっていたものである。
そんなある日、ぼくは育成ゲームのレビューを振られたときに幼少期の「空想の遊び」を思い出し、「キャラクターの背景を想像で肉付けしながら遊ぶのが楽しい」といった主旨でまとめた。現在の自分からすると小生意気さが鼻についてめっちゃ殴りたくもあるが、当時のぼくは自信満々だったし、間違ってもいなかったと思う。
しかし、記事は編集長ウケが悪く、「想像で補完しなきゃいけないんだったらゲームいらねえじゃん」と、ぼくは校了日に怒られるハメに。今だったら「おや、Wizardryとかご存じでない?」くらいのイヤミは言うかもしれないが、当時のぼくに逆らう度胸はなく、特に反論もせず引き下がった。そのせいか、しばらくイキッたことは書かなくなったし、攻略記事が仕事のメインになったこともあって、その必要もなくなった。
2018
そして時は流れ、会社が解散したりフリーになったり食い詰めたり再就職したり心を病んだりフリーになったり結婚したり子どもができたり調子に乗ったり食い詰めたりしているうちにぼくはゲームの仕事をあまりしなくなった。それゆえ「Slay the Spire」に仕事抜きで触れ、かつて熱中した「空想の遊び」をまた楽しめたのは、同作に感謝すべき出来事だったと思う。いろいろ思い出したせいで、たまにあの編集長のヒゲづらが浮かんでイラッとしたりもするのだけれど、今夜も素朴に描かれた無口な戦士たちを脳内でバリバリ叫ばせながら遊ぼうと思う。
2020
――とまあ、過去の自分が書いた、レビューとも自分語りともつかない拙稿を小手先で整えてみた。コレをオクラにした理由はというと、脳内に棲むクソリプおじさんに「書きたい話詰め込みすぎだろ」「偉そうに言ってるけど、お前Wizardryほとんど遊んでねえだろ」「そもそも幼少期からの回想、要る?」などとツッコまれて言い返せなかったのもあるのだけれど、その時点で既に「Slay the Spire」評としてはいささか不正確で陳腐化していたのが大きい。というのも、ぼくが一番ハマッていたころ同作はまだアーリーアクセス中で、真のボス「心臓」が未実装だったのである。
それが初稿を書き上げたころに実装されて、これはいかんと挑んでみたら、この心臓ってやつが滅法強く、流れに任せてアドリブで組んだデッキでは全然歯が立たなくて惨憺たる有様に。結局、ガッチガチに方針を決め打ちして挑まないと勝てないと気付いてしまった。テンプレ丸出しなデッキを組んで倒せはしたものの、完成した「Slay the Spire」は空想の題材としては手軽には遊べなくなり、書いてきた主張が成立しなくなってしまったわけだ。
でまあ、それならそれで、ゲームと想像力ってテーマに立ち返って回想部分なんか放り投げ、同作の素朴なグラフィックが僕の脳内でどのように描かれていたかって方向に寄せたほうが、最初にとりあげた記事ともリンクしてとてもよろしいのだけれど、ぼくとしてはフォルダ内で朽ちかけていたテキストを虫干しできたあたりで満足したので、ここでやめとく。「駄話が読みたい」とハードル下げてもらってほんと助かった。
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