もう一人の自分の声に耳を傾ける
3年前の12月に受けた右脳血管腫摘出手術のあと、命こそ助かったものの、麻酔から覚めると私の世界は変わっていました。
文字通り、世界がひっくり返ったようでした。
都立病院からセカンドオピニオンを求めて帰阪し、日本でも有数の脳神経外科病院で手術を受けられることになりました。
そこでの出会いは私にとってかけがえのない宝物であり、
執刀してくれた担当医を含め、彼らについては今後じっくりと書きたいと思っています。
消えていく左側の世界
手術を受ける前から左半身は徐々に動かなくなり、感覚も日に日に消えていきました。
ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の冒頭シーンで、千尋の手が薄く透けてしまう場面がありますよね。感覚的にはちょうどあんな感じ。
「手術をすれば、今よりも感覚は消える」
担当医にそう言われたときは『半分感覚がない』という自分の状態を想像することが、いまいち出来ませんでした。
有る状態から、無い状態を想像することって、思っていた以上に難しいんだな。反対ならできそうなのに……。
と、漠然と考えたことを覚えています。
例えばそれは、物理的に左手足を切断されるのとはまた違う感覚なのだろうか?
外部からの知覚情報を脳を通して全身に伝達し、有効に動かすことができないのなら、
それって左半分の存在に意味はあるの?
もしかするともう走ることも、歩くことも、産まれたばかりの姪を抱くことも出来なくなるかも知れない。顔の左半分が硬直すれば笑うことも、食べ物を飲み込むことも、スムーズに話すことも出来なくなる。
やりたいことが出来ない残された人生に、何の意味があるわけ?
そう思っていました。
『絶望』という単語が浮かんでは消え、まだ長らく明るく続くはずだった未来が閉ざされてしまった気分に。
そこから約半年間は、基本的に家族と執刀医以外とはろくに話さなくなり、ふさぎ込むようになりました。
闘病ではなく”共病”
現在、私は左半身の感覚がほとんどありません。
痛覚、温度を含め、力の加減など、内側から込めるパワー調節も難しいです。今でも幼い姪や甥とは、右手でしか手を繋がないようにしています。
しかし手術を行ってくれた先生のおかげで運動神経を司る部分は傷つけずに済み、目視すれば左手もゆっくり動かすことが出来ます。
だいぶ不器用だけど、割れないものなら掴むこともできます。
ザラザラ・ツルツル・ヌメヌメ・サラサラ…。
一体どういう感触なのかは分からないけど、生まれたての赤ちゃんがひとつひとつ感覚をインプットしていくように、
いつかの感覚を蘇らせるんじゃなくて、新たに積み上げていくような心づもりでトレーニングに励んでいます。
それは身体的なトレーニングだけではなく、人や問題との関り方に関しても同じように言えることです。
『何ひとつ自分一人では出来なくなった』
と落ち込んだこともあるけれど、長い入院生活の中で自分の心と身体に向き合ったことで
『なんでも一人で出来ると思っていた過去の自分が可哀そう』
と思えるまでになりました。
あれから3年が経ち徐々に筋肉もついてきて、以前に比べるとかなりスムーズに歩けるようにもなりました。
これからもどんどん良くなっていくのかな。
希望を持ち続けたいと思います。
応援してくれる家族、友人、先生たちの言葉に支えられながら、
感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんとに、生かされているということを実感しています。
天使と悪魔
でもね……、
もう綺麗ごとばっか言うのも、そういう自分にもそろそろ嫌気が差してきて、
『本当はそれだけじゃないくせに』
『もっと他に思ってることあるやろ』
と、もう一人の自分が唆すように呟くんです。
ん~、その反対側に
――それを言っちゃぁ、おしめぇよ。
と、全力で阻止しようとする私もいて、対極的な二人が内側で絶えず格闘してます。
思い返せば私は、ずっとこのもう一人の私の声を無視し続けてきました。
社会的に不適切だから。十中八九受け入れられないから。
それらの理由だけで悪者と決めつけ、押し殺してきました。
どっちが本音なのかと聞かれると、どっちもです。
相反する意見・感情を一緒に持ち合わせていて、とんでもなく矛盾してるんだけど、矛盾してるからそしんどいんだけど、
でもよく考えてみると、世の中で大切とされている物事の中に、矛盾が全くないものってありますか?
愛と憎しみ、光と影、善と悪。
どちらかがそれだけで存在することは決してありません。
一方がもう一方の根拠でもあるから。
私は意地でも、自分は善良で良識のある人間と思い込みたかったのでしょう。
でもそうじゃなくて、全然そうじゃなくて、めちゃくちゃ性格悪いです。笑
「マナカって博愛主義者だよね」
って言われることもたまにはあるけど、
全っ然ちがうから!サイテーなこと思うことあるから!
「頑張れ、絶対よくなる」という脅迫
この新しい感覚を持った自分とどう付き合っていくべきか、じっくりと考える時間は嫌という程ありました。
術後の半年間、リハビリ入院という名目で執刀医の元に残留し、
『明日死ぬかも知れない』
という不安からはとりあえず解放されました。
その間、もうありのままの自分を受け入れるしかないと思ったんです。
現状に甘んじるとか、向上心がないとか、そういう強迫観念的な思考は一旦捨てて、そのまんまの自分を受け入れてみよう。
それからです。
毎日が楽しいと思えるようになったのは。
その矢先、退院すると
「希望を持ち続ければ以前の状態に戻れるから」
「走れるようになったらまたバスケやろう」
「諦めたらアカンで、絶対」
……
正直、もういっぱいいっぱいです。
私は”以前の状態”に戻りたいと思っていません。
走ることができない自分のことも、ヒールが履けなくなった自分のことも、受け入れようとしています。
まだ諦めちゃダメですか?
「一度傷つけた脳は元通りにはならない。君はもう走れないし、以前のようには動けないだろう。麻痺は今後ずっと、付き合っていくしかない」
はっきりとそう言ってくれた担当医の言葉が、一番嬉しかったです。
涙が出るほどに。
良かれと思って励ましの言葉をかけてくれている、ということは重々承知です。
素直に聞き入れて「ありがとう」
って言えば済む話です。
これからも、「私に関心を持ってくれて、気にかけてくれてありがとう」
という気持ちは持ち続けたい。
だから今日は、少しだけここで零させてください。
もう一人の自分の声を、たまには肯定してあげてもいいんじゃないでしょうか?
今すぐそいつの味方になってやれるのってたぶん、あなただけですから。
でもなんらかの形で発信すれば、もしかすると賛同者が出てきてくれるかもしれませんよ。
今日も読んでくれてありがとう。