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明けましておめでとうございます

2024年。明けましておめでとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

いやはや、知らないうちに秋が過ぎ、10月から新年を迎えるまでのスピード感たるや、
ちょっともう、全然ついていけてないんですけど。
ここ数か月間は、
「待って待って!ちょっと待って!」
の状態が続いております。
年末のおいてけぼり感は、年々増すように感じます。

子どもの頃のこの時期は、今よりもやるべきことがはっきりとしていて、
クリスマスの予定を立てたり、法事の準備の手伝いをしたり、
お年玉で何買おうかと考えたり(貯金という選択肢はなかった)
いろいろと考えることもやることもちゃんとあって、だから時間と一緒に前に進めているという実感があったように思います。

とにかく虚無感


いつからだろう。
年末年始のこの時期が、とても寂しく感じられるようになったのは。
お墓参りの帰り道、車の窓に流れるど田舎のあぜ道を眺めるときも、
マライヤ・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が聞こえたときも、
いつものスーパーで、年賀状とポチ袋コーナーを発見したときも、
大掃除中に埃を吸ってむせたときも、
お線香の香りとキムチの酸っぱい匂いが混じって、安心感を覚える独特な匂いを嗅いだときも、
なぜだかやたらと、切ない気持ちになります。
「もしかしたら、心ってまじで、ここにあるのかも知れん」
と思ってしまうくらい、左胸の辺りがきゅい~んと苦しくなって、何をどうすればいいのか分からなくなっているうちに
「はいあけおめぇ~!!」
ってなってる。

ちょっと待って。私まだ、年越せてない。越せそうにない。
ここ何年かの、元旦の私はそんな感じです。
どこかで帳尻を合わせないと、何十年後かには浦島太郎になりかねないな、と思いつつ、今日も
「ぁ、ぇ、あ、えっと…明けましておめでとうございます。」
って感じでした。

浮かぶ過去


なんでだろう。
年末年始って、誰もそういうもんなんだろうか。
と、原因を考えようともしなかったのですが、三十代に突入し(それも信じられない!) 、いろんな人の話を聞いたり本を読む中で、もしかしたら私は、過去と現在の中間地点にいるのかもなぁ、だから唐突に物悲しくなるんだろうなぁ、と漠然と思うようになりました。
過去と未来の中間である現在にいたはずが、なぜかこの時期だけは、
過去と現在の中間に引き戻されるといった感覚です。
ハロウィン、クリスマス、法事、お墓参りなどといった、宗教行事や故人を偲ぶ風習もそうだし、
今年一年を振り返ろうとしたり、過去の自分や出会った人々のことを、懐かしい気持ちで思い出すことが増える時期です。
過去に出会った人たちの顔や声、交わした会話や起こった出来事が、時系列を無視して浮かんできて、私はそれらにまともに食らっていたのだと思います。

過去がリアルな映像となって浮かんでは消え、
「あ、もう取り返されへんねや」
と思った瞬間、どうしようもなく、寂しい気持ちになります。

一瞬を慈しむ


寒いし寂しいし、まったくやってらんないぜ。
って思っていたのですが、
捉え方によっては、そのとき私が”ちゃんと”心を持って向き合った証でもあるのかな、と前向きに捉えるようにもなりました。
過去を思い起こして寂しくなってしまうのは、それ程までに、その時間を大切に感じていたからだと思います。
当たり前っちゃ、当たり前のことのようでもありますが。
こういう風に、後に寂しくなると分かっていても、怖気づくことなく、一瞬一瞬に愛をもって、生きていきたいな。2024年。

初夢にスペシャルゲスト


そう思ったのは、今朝起きたときでした。
「思った」というか、起きた時点からそう「感じていた」という方が正しいです。

昨日ね、真っすぐ立っていられない程のどしゃぶりの雨の中、必死で何かを叫んでいる夢をみました。
咽喉が焼けそうなほど叫んでいました。
打ち付ける雨の激しさで、自分の声も聞こえませんでした。
タクシーを呼んでいたのか、誰かを待っていたのか、ただ出鱈目に叫んでいただけなのかは分かりません。
そこに、去年たいっへんお世話になった『ある人』が傘を持って走って来て、
「なかにし礼の本を、今すぐに読め。こういうのを、お前には読んで欲しい」
と言われたんです。
いやほんとです。嘘じゃなくて、ガチです。
しかも、恥ずかしながら私、中西礼が何者なのかも、あんまり分かっていなかったのに、です。
一体いつ、私の無意識の中に潜り込んでいたのかも、不明です。

その人は、それだけを言い残して走り去って行き、私に傘を持ってきてくれたわけではありませんでした。
でもすぐに雨は止んで、私は小さくなっていくその背中を見つめながら
「なかにしれい、って、誰やねん」
と呟いたところで、目が覚めました。

で、起きたとき
「一瞬一瞬を噛みしめて生きよう」
って思ってました。

――なんでやねん。

はい。
自分でもそう思います。
でも、そう思っちゃったんだから仕方がありません。

これまでに見た夢の中でも、1、2を争う意味不明さでした。
とりあえず、次に図書館に行ったら中西礼の本、借りようと思ってます。

年を跨ぐ


年が明けたからって、実際、何が変わるもんでもありません。
今日は浮足立って、お正月ムードでぶひぶひしたって、またすぐにいつもの日常に戻ります。
新しい年に突入したからって、運命的な夢を見たからって、結局はそのままの自分が生きていくわけだから。
でもなんかこう、この特別な気持ちを持ったまま毎日を過ごせたら、来年はまたちがったお正月になるのかな。

誰のこともおいてけぼりにせず、たまに振り返って、傘を待っている人がいないか確認しながら、一瞬入魂していきたいです。

楽しい1年になりますように……☆








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