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人の気持ちが分かる人になるために

人の気持ちが分かる人になりたい
そう思う人はたくさんいても、
人の気持ちが分からない人になりたい
と思う人はいませんよね。いますか?
いたら教えてください。

私も分かりたいと思っていました。誰かのことを理解しようとするから気付きがあるし、表現力も豊かになる。
お芝居の稽古は、ある意味そのための訓練であったとも言えます。
役の人生、葛藤、気持ちを想像してすっぽりそこにハマり、文字通りその人の立場になって生きてみる。
すると世界の見え方ががらっと変わってくる。それは、とても刺激的で特別な体験でした。
しかしこれまでの自分の人生を振り返ってみても、役者人生を思い返してみても、
『あのとき私は、誰かのことを本当に分かろうと努力した』
と胸を張って言える経験があまりないことに気付かされました。

いえ、当時はほんとうに分かろうとしていたつもりなんです。でも今にして思えば”つもり”に留まっていました。
『人の気持ちを完全に理解する』
そんなことが出来るとは思いません。自分のことだって分からないときがあるんだから。
『人間ってこういうもんです』
と答えを提示できるなら、今すぐ芥川賞受賞ものの小説が書けるでしょう。
私もそのことはわきまえていました。
そもそも分かるもんじゃない。分かろうと想像力を働かせること自体に意味がある。
そう思っていました。

想像力が恐怖心をさらに膨らませる


――あ、私、人の気持ちを分かろうとしてなかったや。

そう思ったのは、病気を発症したことがきっかけでした。
発覚~手術~退院まで、終始”不安”と”恐怖心”を抱いていました。
(「どうにかなる」という楽観的思考もあるにはあったのですが…)
とにかく手術が怖かった。
何が怖いって、麻酔が、です。

「先生。私、麻酔が効かないタイプの人間だったらどうします?」
「手術中に意識が戻っちゃったら、頭全開のままで起きちゃうんですか?」
「麻酔が切れてるのに話せなくて、誰もそのことに気付かなくて、頭全開のままで死ぬなんてことになりませんか?」

今なら『んなわけあるか!』とツッコめるし、あのときも『そんなことあるはずがない』と本心では分かってはいたんです。
『怖い』という感情をアウトプットすればするほど恐怖心が紛れたから、話さずにはいられなかったです。

手術数日前、わざわざ麻酔科の先生が病室に来てくれて
「マナカさんの意識は常に僕が見張っているので、術中に目覚めたりなんかしないですよ。安心してください」
優しくそう言ってくれました。
「ん~…、目覚めちゃうかー。面白いこと言うね。まぁ、もしかしらあるかもよ~♡」
と主治医の尾木ママ、もとい、ブラックジャック先生。あの冗談、全然笑えなかったです。でも愛は感じました。
先生については、こちらのnoteでご紹介しています。

なぜ、言葉にすることで恐怖心が紛れる感覚があったのか。
それは、相手が私の気持ちを分かろうとしてくれていることを実感できたからです。

ヘルパーのおばちゃんに救われる


麻酔科の先生や主治医、看護師の方々の慰めは大きな勇気に変わりました。
”麻酔効かないタイプの超人だったらどうする?”攻撃によくぞ我慢強く……。
ほんとうにありがとうございました。

しかし私の気持ちを最も慰めてくれたのは、医者や看護師といった『その道のエキスパート』ではなく、パートで働いていたヘルパーのおばちゃんでした。
手術前、病棟内の移動は全て車椅子でした。
身体が思うように動かず、トイレに行くにも食事をするにも、何をするにも誰かの手助けが必要でした。
頭痛のせいで眠れず憔悴しきっていたうえに『麻酔切れるかも妄想』に襲われ、
いつ半狂乱になってもおかしくない精神状態でした。
そんなとき、車椅子を押してくれていたヘルパーのおばちゃんしか近くにいなかったあるとき、発作的に聞いちゃったんです。

「私、麻酔効かなったらどうしらいい?」

推定50代後半のヘルパーの女性。高めの声とふくよかな体型、笑うと目が線になるこの女性に私はよく懐いていました。
彼女と話していると、何故か亡くなった祖父を思い出すのです。破天荒だった祖母ではなく、私の全てをありのままに愛してくれた祖父を。
彼女の主な仕事は患者の身の回りのお世話。シーツ交換や掃除、配膳です。
そんな彼女に『麻酔が切れたらどうするか』なんて聞いても、分かるわけがありません。
私は一体、彼女に何を期待していたのでしょうか。
『そんなん私に聞かれても知らんやん』
と言われてもおかしくないのに。

おばちゃんは私の肩をゴシゴシと摩りながら
「大丈夫ちゃう?おばちゃん麻酔したことないけど、痛くなくなるように打つやつやし、切れたらそんなん意味ないやん。でも子供産むんは痛かったわ。大丈夫やと思うで。怖いよな、怖いと思うわ。おばちゃんでも怖いもん。でもあんたはやらなアカン」

それまでに聞いてくれた誰よりも、麻酔についての知識がないおばちゃん。
それなのに、びっくりするくらい
『あ、大丈夫かも』
と、一番信用しちゃったから不思議です。

寄り添う気持ちが一番効く


そのとき、この人は全力で私を分かろうとしてくれていると感じたとき、
喉に刺さった魚の骨がスーッと抜け落ちるように、胸につっかえていた恐怖心が溶けていく感じがしました。
おばちゃんの発言には何の根拠もないし、何者かも分からないのに。
でもきっとおばちゃんは誰よりも、私の恐怖心を分かろうとしてくれていると感じました。

――そういうことだったのか。

専門的な知識とか経験とか経歴とか、それらはもちろん安心材料になり得ます。
でも
人の気持ちを分かろうとする関心力と共感力
が、一番の麻酔になり得るんじゃないでしょうか。

それまでの私は
「何も知らない私に言われたって伝わらないよな、知識も経験もないんだし……」
と自分のことばっかりで、相手に寄り添う気が足りなかったように思います。努力するポイントがズレていたんです。
「私もそうだよ。分かるよ。一緒だよ」
それだけで、その気持ちだけで和らぐ痛みがあるということを知りました。
だから、たとえどんなに辛い状況に陥ったとしても、どれだけ的はずれな言葉に感じたとしても、寄り添おうとしてくれている人に対しては
『あなたに何が分かるんですか』
という閉鎖的な態度をとるのはやめようと思います。
家族をはじめ、これまでそういう態度をとってしまっていた方々、ほんとうにごめんなさい。
そんな私にまで寄り添ってくれて、ありがとう。

叱ってくれる親友


一連の入院生活を通し、私の周りには何人もの麻酔たちがいました。
そのうちの一人は中学校の同級生で、大阪の某総合病院で脳外科の看護師を務めていました。
私の病気を知ったときには上司や同僚に泣きながら相談し、彼女の病院では私の受け入れ体制も整えられていたそうです。
結局その病院に診てもらうことはなかったけれど、東京にいた頃から、彼女は24時間体制で私に寄り添ってくれました。(通常はLINEを返さない女)

私の『麻酔妄想』について、家族ですらだんだん「もうええて」という雰囲気になっていた中、彼女だけは最後まで
「分かる。分かるで」
と聞いてくれていたのですが、ヘルパーのおばちゃんとのエピソードについて話すと一変。

「あんた…、やめときや」

と苦笑していました。
「おばちゃんに分かるわけないやん」
そう言って笑って叱ってくれた彼女にも、心から感謝しています。

学級委員だった彼女。
悩みながら考えてくれた席替えに文句ばっか言ってごめんね。
いつもありがとう。また旅行行こ。

彼女と行ったオーストリアのホテルの部屋からの景色


ちなみに麻酔はばっちし効き、効きすぎたのか、術後もしばらく酷い車酔いのような吐き気に襲われ
「めっちゃ効いてるな」
と、またおばちゃんにお世話になりました。


今日も読んでくれてありがとうございました😊

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