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「Banished」ってこんなゲーム!村作りがこんなに大変だったとは…

イントロダクション

世の中には数えきれないほどのシミュレーションゲームや
シティビルディングゲームがありますが、
「Banished」はその中でも特別です。
一見すると、村を作り、資源を管理しながら成長させる、
シンプルな街作りゲームに見えますが、
このゲームはその表面的な楽しさを超えた
「リアルなサバイバル体験」をプレイヤーに突きつけます。
「Banished」では、村の成長だけが目的ではありません。
冬の厳しい寒さや作物の不作、疫病の蔓延など、
避けがたい困難がプレイヤーの村に襲いかかります。
全てを乗り越えた先に、
ようやくわずかな安定を手にする—そんな村作りの過酷さと緊張感が、
このゲームを単なるシティビルディングゲームとは
違う存在にしているのです。

私がこのゲームに心を惹かれる理由も、そこにあります。
村人たちの生活が一つの選択で変わり、
時には命に関わる場面に直面することで、
まるで自分もその村の一員になったかのように感じるのです。
そんな没入感とリアルな困難が、
「Banished」を心に残るゲームにしていると感じます。

過酷な村作りとサバイバル

「Banished」の世界で最も心を揺さぶられるのは、
その過酷なサバイバル要素です。
新しい土地に追放されたわずかな村人たちが、
一から村を作り始める場面から物語が始まります。
暖かい家や十分な食料を確保しなければ、
村人たちは寒さや飢えに耐えられず、次々と命を落としていきます。

このゲームでは、プレイヤーが取るべき選択肢が限られており、
リソースも決して豊富とは言えません。
木材は家や道具に必要ですが、無計画に伐採すれば周囲の自然が枯渇し、
将来に影響を与えます。季節の移り変わりや気候の変動も、
村の存続に大きな影響を与え、
冬の厳しい寒さには食料や燃料の備蓄が不可欠です。
少しの油断が、村全体を危機にさらすことになるため、
プレイヤーは常に先を見据えた計画と、
バランスの取れた資源管理を求められます。

特に、村人たちの生存が常に脅かされる緊張感が、
このゲームの醍醐味と言えるでしょう。
生まれたての子どもから年老いた村人まで、
それぞれが村の一員として生きています。村人が働けなくなれば、
村全体の生産力も下がり、病人が出れば医者を育てる必要が生まれるなど、細かいリアルな要素がゲームの進行に影響を与えるのです。
この過酷さがあるからこそ、一歩一歩の成長や安定がプレイヤーの喜びを
倍増させ、心に深く刻まれるのです。

戦略と選択の楽しさ

「Banished」は、村の発展に応じて選択と戦略が進化するゲームです。
序盤では食料と住まいの確保に追われる日々ですが、
村がある程度発展していくと、
次に立ちはだかるのは「健康管理」という難題です。
村の人々が長期的に健康でいられるかどうかは、プレイヤーの選択次第。
穀物、野菜、果実、たんぱく質という4つの栄養バランスが
健康度に大きな影響を与えるため、
これらをバランスよく生産・消費することが求められます。

例えば、穀物だけで飢えをしのいでいると、
村人たちの健康度は少しずつ低下し、
次第に病気にかかりやすくなってしまいます。
村人たちの健康を維持するためには、農場での野菜や果樹栽培、
漁業や家畜の飼育によるたんぱく質の確保など、
多様な食料源を計画的に取り入れる必要があります。
この「健康度管理」という要素が加わることで、
プレイヤーは単なる資源管理に留まらず、
村全体の持続可能な発展を目指した深い戦略を考える楽しさを味わえます。

また、病院や薬草栽培所の設置も重要です。
村人の健康管理ができるようになると、
病気が蔓延するリスクを抑えられ、
長期的に安定した生活基盤を築くことができます。
しかし、これらの施設は資源を消費するだけでなく、
他の生産活動を圧迫するリスクもあります。
こうした制約の中で、どの施設を優先し、
どの分野を強化するかを考えることが、
村作りの奥深さとやりがいに繋がっているのです。

心に残ったシーンや体験

「Banished」をプレイしていると、村作りゲームでありながら、
思わず胸が締め付けられるような瞬間が何度も訪れます。
このゲームの難しさは、リソース管理や戦略だけではなく、
村人たちの生活や命がかかった現実を感じるところにあります。
村が順調に発展し、平穏な日々が続いているときでも、
突如として悲劇が訪れることがあります。
特に印象的なのは、伝染病(赤痢)が村全体に広がった時のことです。

あるプレイでは、村が順調に発展し、住民も増え、
農場や家畜も安定した収穫を得られるようになった矢先に、
この赤痢が発生しました。病気が発生した時点では医療施設の数が足りず、すぐに新しい病院を建設しようとしたものの、
その準備が整う前に感染が一気に広がり始めます。
村人たちが次々と感染し、仕事ができなくなると、生産も滞り、
健康な村人たちへの負担も重くなり、
生活の全てに影響を及ぼすという連鎖的な悪化が発生します。

この状況下では、住民の命を救うために病院を建設し、
医療リソースを集中的に管理しながら、
日常の生活を守るための生産を最低限維持するという、
非常に繊細なバランスが求められました。そ
れでも完全に抑え込むことができず、村人たちが少しずつ命を落としていく様子は、ただのゲームとは思えない喪失感と無力感をもたらしました。

また、赤痢が落ち着いた後の村の様子も、感慨深いものがありました。
村の中心部には多くの墓が並び、静けさが漂います。
それは、失われた命とその歴史の証でもあり、
何とか村を立て直した後にも、
この経験が村全体に深い傷跡を残したことを実感しました。

このように「Banished」では、一瞬の油断や、
予測できない事態が村全体を危機に陥れることがあります。
こうしたリアルでシビアな体験が、プレイヤーの心に残り続け、
何度でも村を守りたくなる理由なのかもしれません。

「Banished」が心に残る理由

「Banished」は、ただ村を作るだけじゃないんです。
資源を必死にやりくりしながら、村人たちと一緒に必死に生き延びる、
リアルなサバイバル感が詰まっています。
ちょっと油断すれば病気が蔓延したり、食料が足りなくなったりと、
常にピンチと隣り合わせ。そんな緊張感がクセになって、
気づけば何度も村を再建しちゃうんですよね。

このゲームの魅力は、たった一つの選択が
村全体に影響を与えるリアルさです。
食料を優先すれば住民は満たされるけど、健康度が下がれば病気が増えるし、リソースをバランス良く管理しないと村の発展も止まっちゃう。
絶えず「次はどうする?」って考えさせられるところが、
ただの街作りゲームとは一味違います。

苦労してやっと村が軌道に乗った時の達成感や、
赤痢を何とか抑え込んで村人たちが元気を取り戻した瞬間には、
「やっぱりこのゲームは特別だな」と感じます。
何度やり直しても飽きないし、
村人一人ひとりが生きてるって感じが伝わってきて、
つい感情移入しちゃうんですよね。

だからこそ、「Banished」はただのゲーム以上の体験をくれて、
心に深く残るんだと思います。やりごたえのある村作りと、
村人たちとの「生き延びる」ドラマを、ぜひ一度味わってほしいです。

最後に…

とは言え、このゲームにはシステム的に
何かストーリーが展開されるわけではありません。
ここまで読んでくれた方に向けて
ゲームの導入部分を小説風に書いてみました。
ご笑覧ください。

私と彼らの物語

私はこの地に根付いてからどれほどの時が経ったのか、
自分でもわからなくなっている。人間たちがまだ小さな集団で森を敬い、祈りを捧げていた頃からこの地を守り続けてきた。
だが、その声が途絶えて久しい。
私はただ、ここで静かに大地の息吹を感じながら、
風の囁きに耳を傾けていた。

そんなある日、森の外れからざわめきが届いた。
重く引きずる足音、押し殺した泣き声。
彼らの気配を感じた瞬間、私の眠りは途切れた。

人間たちだ。

その数、わずかに二十。大人十人、子供十人。
それぞれが疲れ果てた顔をしていた。肩に担いだ荷物はほとんど空に近い。飢えと寒さに震え、互いを支え合いながら森の中へと足を踏み入れてきた。

「ここに、神様はいらっしゃるのだろうか……」

最初に声を発したのは、一人の女性だった。
長い髪を布でまとめ、目の下には隈ができている。
彼女が口にした言葉は、ほかの者たちには届かなかったようだ。
皆、疲れ切って声を発する余裕もない。

私はそっと風を送り、彼女たちの言葉に答えた。

「私はこの地の神だ。お前たちは、この地に何を求める?」

その声が届くと同時に、彼らは驚きと畏怖の表情を浮かべた。
けれど、私にはその中に微かな希望の火が灯るのがわかった。
人間というものは、希望が目の前に差し出されると、
それにしがみつかずにはいられない生き物だ。

彼らは地面に膝をつき、口々に私に訴えた。

「どうか、どうか助けてください! 私たちは追われ、逃げる場所もないのです……」

「もう力が残っていません……子供たちを見捨てるわけにはいかないのです……」

大人たちの声は次第に震え、
彼らの中にある不安と絶望をさらけ出していく。
彼らの目には、必死さと祈りが混ざり合っていた。

私は、彼らの思いに応えるべきかどうか考えた。
土地神としての力は限られている。かつては森を操り、
大地を豊穣に変えるほどの力があった。
しかし、人々が祈りを捨てて久しい今、
私の力は大きく枯れてしまっていた。

だが、彼らの言葉には嘘がない。
追放され、逃げ惑い、この地へとたどり着いた彼らは、
私の目に純粋に映った。

「わかった。お前たちをこの地で受け入れよう」

私がそう答えると、大人たちの顔が安堵にゆるんだ。
しかしそれも束の間、次に浮かんだのは不安だった。
彼らはこの地でどのように生き延びるのか、見当もつかないのだろう。

私はそっと手を振り、木々に語りかけた。
すると、それに応じるように、周囲の木々がざわめき始める。
枝が勝手に動き、まるで生きているかのようにうねりながら、
彼らの目の前で簡素な小屋を形作った。
そして幾許かの物資を、山や森の恵みを詰め込んだ。

さらに、別の場所に風を送ると、
そこには木の幹や石が積み上げられ、資材置場ができた。
人々が必要とする最低限の資源はここに用意したつもりだ。

「お前たちが暮らすには十分ではないかもしれぬが、これ以上は私にはできぬ。お前たちの手で、この地を豊かにするのだ」

私がそう伝えると、彼らは涙を流しながら頭を垂れた。

「ありがとうございます……」

その感謝の言葉が私の心に温かく響いた。
力を分け与えることの疲労感を忘れるほど、
彼らの思いは強く、そして真摯だった。

彼らがその地で初めての夜を迎えるとき、私はそっと彼らを見守った。
大人たちは火を囲み、これからどうするべきかを話し合っていた。
子供たちは疲れ果てて眠りについている。
彼らの体には私の加護が薄く広がり、
外敵や災害が彼らを脅かさないようにしていた。

「神様が守ってくれる」と信じる声が、大人たちの間から聞こえた。
だが、その声には依存しすぎる危うさも含まれていることを、
私は感じ取った。私の力には限りがある。
いつかこの加護が尽きるときが来るかもしれない。

それでも、私は静かに見守る。彼らが加護を支えに立ち上がり、
自分たちの力で道を切り開く姿を見たいと願いながら。

焚き火のそばで眠れない様子の少年が、一人で空を見上げていた。その瞳に宿るのは、恐れではなく希望だった。

「神様、見ているのかな……」

その小さな声が風に乗り、私の耳に届いた。
私はそっと風を送り、彼の髪を優しくなでた。
少年は驚いたように振り返り、満面の笑みを浮かべた。

「やっぱり、見ててくれるんだね!」

その無邪気な言葉に、私は初めて安堵を覚えた。
人間たちの中に、未来への希望がまだ残っていることを感じたからだ。

この夜もまた、静かに更けていく。
土地神としての私にできることは少ない。
しかし、彼らがここで生き抜くための土台を築き、
静かに見守ることこそが、私の使命だと信じている。

これが私と彼らの物語の始まりだ。

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