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あきらめることから始まるなにかがあると信じて

今年はエントリーをあきらめた。

12/15(日)がエントリー締め切りの「モノカキングダム2024」。

私が参加しているメンバーシップを主催していることばと広告さんが立ち上げた、「その年、一番ええ記事書く人を決めよう!それは参加者みんなで決めよう!」という大会で、今年が2年目。

開催が発表されてから、今年のテーマの「こえ」は頭の中をめぐっていたけれど、結果的になにも浮かばないまま締切日を迎えてしまった。

妻がケガで入院してからワンオペや面会であわただしい日々を送っていて、先週無事退院してからもまだ完全復調ではないのでなんやかんやとお世話をしないといけない状態で、落ち着いてnoteを書く時間が取れなかった。

というのは言い訳。

実際には、エントリーが始まった当初に早くも投稿された2本の作品を読んでしまい、そのレベルの高さに愕然としてしまったためだ。

読まなければよかった。

現時点で応募総数は100件を超えている。初年度はそんなに多くなかったけれど、私の作品の得票数はゼロだった。私のライティングスキルは昨年よりは向上していると信じたいが、少なくともこの2本を超えるレベルのものを書けなければ、エントリーする意味はない。

オリンピックと違って、ただ参加するだけだと意義はない、のだ。

草野球で腕にわずかばかりの自信があるおじさんが、なにを間違ったのかプロ球団のトライアウトを受けにいったら、ドラフト候補者レベルの参加者がゴロゴロいた、そんな状況だ。

昨年のエントリーから今日まで、ライティングのレベルを上げるための努力をしたのか。ただ漫然と描き続けているだけではなかったか。

投稿へのスキの数が全然増えていかない状況に、あせりながらもなにもしてこなかったじゃないか。

さて、これからおまえはnoteとどう向き合うんだ、そんな命題を与えられた時間だったような、そんな気がする。

大会にエントリーした人たちは、次の審査フェーズに向けて盛り上がっている。エントリーしなかった私は当然その盛り上がりには参加できない。指をくわえて見ているだけだ。

でも、何かをあきらめることは、必ずしもなにかを失うことではない。
あきらめることで新しいなにかが始まることも、あるんだ。

年が変わるタイミングにさしかかり、ちょうど来年のことを考えるにはいい時期だ。年末年始は仕事で忙しいけれど、なにかが始まることを信じて、来年のnoteへの向き合い方について考えをめぐらせてみよう。



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