生命がそこにあるという暖かさ
このnoteを書き始めた12月11日、那覇の最高気温は27℃。
師走ですよ?
それでも朝晩は気温が下がるので一応上着は着て出るものの、日中は半袖じゃないとちょっとつらい。事務所内では暑いという人が続出したのでたまらずエアコンをかけたりして。
沖縄に来てもう10年以上、さすがにこんな12月は記憶にない。12月の平年の最高気温は21.5℃なので、5℃以上高いって異常だね。
異常だけど、ありがたい。
季節感がまるでない。でもありがたいんだ。
亜熱帯性の気候は沖縄への移住の決め手だったわけではなかったものの、この温暖さを経験してしまうと、息が白くなるような地域に戻って生活する気にはなかなかなれない。
夜の間にしんしんと雪が降り、朝目覚めたら一面白の世界、というのは何度経験しても感動するもの。ただ、その後のいろいろな大変さを考えると、1年に1度くらいにしてほしいなあ、なんて思っていた。
ひとつさみしいなと思うことが、ある。
体の芯までこごえるような寒さに耐えて帰宅して、いそいそと暖かいこたつに入って熱いお茶を飲んだ時に、冷え切った身体がじんわり暖かくなっていくのに合わせて心までポッと暖かくなる瞬間。
沖縄だと、さすがにこういう感覚になることはなかなかない。ジリジリ照りつける真夏の太陽から逃れるように入ったお店が、ことのほか冷房が効いていて一瞬で汗が引いた、という時の心の動きとは何かが違う。
落ち葉を集めて起こした焚き火から、手のひらに感じる冬の炎。
膝の上で丸くなって眠る猫から感じる体温。
そう、つまりは、暖かさ。
北風と太陽、ではないけれど、「心」と「暖かさ」の間にはどうやら不思議な関係がある。
どうして、「涼しさ」ではなく「暖かさ」なんだろう。どうしてなんだ?
・・・・・
そうか、「暖かさ」は、生きているものに触れることで感じる体温なんだ。
暖かい、と感じることで、そこに生きている存在があることに気づく安心感。その疑似体験なんだ、きっと。
いつのまにか友達と手をつなぐこともなくなり、子供たちは成長して家を出ていき、夫婦も歳を重ねるごとに少しずつ距離が開いていき、愛する人と肌を触れ合う機会はどんどん減っていく。
人生なんてそんなもんだ、と達観していても、ふとした瞬間に感じる暖かさに、心が反応する。
ウチには2匹の猫たちがいる。それぞれ思い思いのやり方で、カラダをこすりつけてきたり、なでろと要求してきたりする。そういう時に彼らの「命の暖かさ」を思う存分感じさせてもらうこととしよう。
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