146日目 足りなさを受け入れる
私は日頃から、エレベーターやエスカレーターを使わないようにする生活をしている。
もちろん、体調や状況によるが、極力使わなくても良い場面では歩くように心がけている。(エスカレーターに乗ったときは、歩かずに立ち止まる)
駅のエスカレーターを使わず、階段を歩いて上がる人は少ないため、混雑した駅という空間でも、ちょっとした「一人空間」を味わえることも密かに楽しんでいる。
昨日のこと。
いつもならほとんどいないはずの階段に、たくさん人が歩いている。
上りながら後ろを振り返ってみると、何人かが続けて上ってくるではないか。
何事かと思いながら上りきったところで、原因がわかった。
エスカレーターが、止まっていたのである。
作業員さんが仕事をしている姿が見えたが、まさか平日朝のラッシュ時間帯に定期点検などするはずもあるまい。
なんらかのトラブルで、止まってしまったのだろう。
誰も文句など言ってはいなかったが、おそらくいつもエスカレーターに乗っている人からすれば、
「なんで止まってるんだ」
「朝から階段を歩いて上がるなんて」
などと思ったことだろう。
エスカレーターに慣れていると、階段を上り下りする運動は、慣れるまで意外とキツかったりするものだ。
だが、普段から歩いて上っている身からすれば、何も影響はなかった。
それぐらいで文句を言ったり不機嫌になったりするようでは、心の余裕がなく生きづらいと思う。
便利なものに慣れ過ぎていると、「足りないこと」が許せなくなってしまうことがある。
あえて便利じゃないものに目を向けて、楽しむぐらいの余裕が必要だ。
「足りないこと」を受け入れて、心の余白を持って生活していきたい。
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