孤独をどうする
友だち、家族と一緒なら「空間」さえ提供されればなんとかなる。
お店に求められるのは「手頃な料金」と「使い勝手」だ。
問題は、都市を彷徨う「孤独」だ。
2020年の国勢調査における「50歳時未婚率(生涯未婚率)」は、男性で28.3%、女性で17.8%。だけど正規雇用の人に限った場合、女性の未婚率は、24.8%になる。
これを「そうですか」と放置しておくのか。
喫茶店やスナックのような「受け皿」も絶滅危惧種だし、日本の役所(お役人)は、こういうことへの対応が苦手なのに。
(たぶん、お役所は「孤独な人」を傷つけるようなことをするのだろう)
僕がそうだが「孤独」だからといって「みんなの一員」にはなりたくない。ライフスタイル、ライフコンセプトが大きく異なるから、話しが合わない。
これはずいぶん以前のことだが、組織で働いた経験がない僕は「そんなに文句があるんなら、課長飛ばして、部長に相談しちゃったらいいのに」と言ってしまった。
こういうふうに話しが合わない。
ここが、そもそも「みんな」との違いだ。「みんなの一員」になって安心っていうこともないし、ホッとするということもない。どちらかといえば、気を遣いまくって疲れてしまう。
脳出血で入院していた病院でも、僕は食堂での「いっせい食」を拒否して、誰もいなくなった病室で一人で食事をとっていたし、奥さん以外に見舞いがないことも気にならなかった。
(メールで仕事はしていたけれど)
つまり、河川敷でバーベキューをするための「家族ぐるみ」などに希望があるわけではない。
でも、80歳になってコロナみたいな病気になったらどうする。
気になるのはこういうことだ。
もちろん、一人二人は話しが合う人もいたらいいとは思う。
でも、どこの誰かも知らない方がいい。
かつての喫茶店やスナックのカウンターで隣り合う感じ。ママさんやマスターの仲介があったら助かる。
店を出たら知らない。そんな感じ。
でもね。
実際、かつての喫茶店やスナックのつながりから、風邪ひいたときの買い物頼んだり。そういうの、あったな。僕もママさんに言われて、そういうの、やったことがある。知らない人だったりするんだけど。…顔もわからない人のお使いとかも。
「民」でセルフサービスしないとダメだろうな。
役所に任せると「利用の手引き」とか回ってきそうだし、高熱出してるのに、受け取りにサインさせられそうだし。
考えなきゃな。
僕ら「おふたりさま」だから、僕が死んだら、奥さん「おひとりさま」だし。
僕の専門は「公共政策学」だし。