私の「自我」
まずね。
少なくとも僕は
「生まれたい」と希望して、この世に生まれてきたわけではない。その上で、生まれてくる「親」も「家も」選べない。
僕はこうやって始まる人生が、僕の任意になるわけはないと思っている。「死」も同様だ。いつ死ぬかわからない。
地球なのか、宇宙なのか
生きとし生ける者は、そういうものに使い勝手される道具に過ぎないのだろう。最近はそんなふうに思っている。
でも、それならそれでいいやと思っている。
近代的自我というくらいで、中世には「私」というものが、もっと不明確だったのだという。
その方が楽だったのかも。
「私の自我」ってノイジーだったのかもしれない。「私」って面倒だ。自分でもわからないし。
すでにルネサンスが人類の誤った妄想だったのかもしれないね。
だから、今の僕は、僕の意思や希望より自然に任せればいんだと思っている。どんなに辛くても、環境が要求することを読んで「はいはい、そうすればいいんですね」とそうやって死ねるまで生きていけばいいんだなと。
(だから、僕は「死」を「めでたい卒業」だと思っている)
こう考えるようになったのは、やっぱり脳出血で倒れてから。
当時、仕事上で四面楚歌の状態にあって、死にたかった。
それなのに、案外、重篤な脳出血だったのに、頼みもしないのに助かった。
口がきけないうちに助けられた。
しかも、今も消えない「後遺症つき」だ。
右手は15年近くたった今も痺れっぱなし、複視、自律神経の失調、右脚も元にもどったわけではない。
「私の命」は「私のもの」ではないなと思った。
近代的自我的に幸せになろうとするのを止めた。
「自分」という環境、「社会」という環境を見渡して、「散歩ならできるな」と思えば、散歩する。でも、自我が「旅に出たい」といっても、それは無視する。仕事上でも、孤立して、自分としては辛いんだけど、そっちへ行けというならそっちへ行く。
そんな感じ。
でもね。
そうすると楽なんだ。
不思議とストレスは貯まらない。
(世相も思っていた方向に流れている)
リアルな生活圏に一人も友だちがいなくても、SNSは素敵な出会いをくれる。そして、毎日、生活圏では決して出会うことがない人々とのコミュニケーションを愉しんでいる。
今は「畑」を耕しているけれど(さすがに身体に難ありなので、実際の耕作は主に奥さん)、「農はたしなみ」が、本格的になったのも流れに拠る。探していて見つけたのではなく、予期せぬところから、ほんとに話はトントン進んだ。
(こういうときは流れに合ってるんだろうなと思う)
「なせばなる、なさねばならぬ何事も」的に自分の信念を押し通すのも止めたし、社会も、自分を信じるのも止めた。
今は、地球だか、宇宙だかに、どうにでもしてくれと思っている。
でも、そうするとストレスからはずいぶんと距離を置くことができた。
世間からは「へそまがり」で一向にかまわないと思っている。
カジュアルな「明鏡止水」だな。
これでいい。
ここ数年、コロナだか悪性インフルだかに罹患して死ぬ思い。
(最初の罹患後は、ほとんどご近所で過ごし電車にも乗らなくなったのに、仕事で横浜駅に出て、その直後に発症した。まぁ、そんなもん)
その後 激痩せ、腎臓に問題を抱えて、全身倦怠感。
でも、これも流れだ。
70歳までは無理かな、と思いつつ、卒業が早まったかと思い、半分以上、ホッとしてもいる。
今は、流れに任せているだけだから、思い残すこともないからね。