生半ではない時代の前に
どう考えても「量的な評価」しかできなかった時代は、どんどんと終焉に近づいている。
「メロン100個」より「美味しいメロン」をひとつ。
それも「私が美味しいと思う」ではなく「あなたが美味しいと思うメロン」をひとつ。
「写真を100枚、撮ってくれ」という注文には、たいていの人が応えられる。「きょう1日で1000枚の写真を撮ってくれ」という注文にだって頑張る人、根性が入っている人なら対応してしまうかもしれない。
でも
「いい写真を撮ってくれ」とか「美しい写真を撮ってくれ」という注文になると、誰でもがそれに応えられるわけではないし、しかも「1000枚の写真」なら誰にとっても「1000枚の写真」だけど、「いい写真」とか「美しい写真」ということになると回答はひとつではない。
注文を出している人でさえ、それを明確に言語で説明できない場合がほとんどいない…つまり、こういうオーダーに明確な回答を持っている人など、誰もいない。
さらに、カメラ自体はどんどんと進化し操作性は豊かになっていっている。「カメラがあつかえること」自体がプレミアになる時代はとっくに終わってしまっている。カメラに限らず、僕らはこういう状況で「仕事」にありついていかなければならないわけだ。
どうしよう。
今から「昭和」な時代に戻せといわれても、それができるのは映画のなかだけ。しかも、その映画だって、実際にはデジタルな技術が駆使され、合成画面を念頭に「リアル」を体現することができるスタッフさんや俳優さん、女優さんたちでなければ…というのが「今」。
(AI化で、チャットGPT。イーロン・マスクさんも参入です)
デジタルな技術に対応していくんだって生半じゃないし、「質的」にお客さんの要求を満たすっていうのは、さらに生半なことではない。実際のところ食っていけるのは一人か二人って、そういう世界。 美大だと、昔っからそんな感じがあって、僕が4年生だった頃に同じ学科にいた1年生から4年生までで、今も業界にいるのは2人かな。
そんなもんです。
現場仕事も労働市場は国際化。国境という壁が邦人を守り切ってくれるいぢでもない。
(守りきっちゃったら、国際的に孤立。貿易が立ち行かなくなる)
やっぱりベイシックインカム。真剣に考えておいた方がいいと思います。
生半ではない10年が始まります。