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傷だらけの天使

ときどきCSやUHF局などで「傷だらけの天使」が再放送される。
1974年からの放送、全26話。すでに伝説となっているTVドラマが、今になって観ると、出口のない「下流社会」に生きる若者たちを描いたドラマでもあったな、と。

(1974年当時は、そんなふうに観ることはできなかった)

学歴もなく、老後なんて気にする必要があるかと思えるほどに「死」は隣り合わせ。いつだって誰かに利用されながら、でも、もがきながらも懸命に生きている。ずる賢くなく、まっすぐに生きていく若者たちの悲劇と哀愁を描いたドラマ。

「東京ラブストーリー」(1991年)「愛という名のもとに」(1992年)に描かれたような若者像が、社会のスタンダードみたいに思われた時代もあったんだけど、あれこそがバブルの残り香で、つまりイレギュラー。
そうか1970年代だって、あんなだったか。むしろ、二極化の時代こそが、この国のスタンダードなのではないかと思えてくる。だって、

前の東京五輪前後の時代を描いた、あのNHK連続テレビ小説「ひよっ子」(2017年)だって、茨城県の農村から、出稼ぎに出ざるを得なかったお父さんが、不当な暴力を受け行方不明になってからが物語の始まり、都市と農村の間に悲惨な格差がある。

そして現状だ。

タナボタだった「一億総中流」の時代の再来を願って凍えて死ぬのか…それとも、二極化は二極化としてがむしゃらに上を目指すのか、下流の中でもがくのか、下流かもしれないけれど、それなりに幸福を見出していくのか…

なんだか、最低だ。

「傷だらけの天使」が放映された1974年は、この国にも まだまだ上げ潮な未来が約束されているかのように思えた時代。そんな時代に、このドラマを企画した人は、なぜ「傷だからけの天使」のようなドラマをつくろうと思ったのか。また、当時の視聴者は、なぜ、このドラマを支持したのか。

1981年に放送が始まった「北の国から」にも同じようなことを思う。

バブルの絶頂に向かう時代に、なぜ「北の国から」のようなドラマをつくろうと思ったのか。当時の視聴者は、なぜ、このドラマを支持したのか。

僕らは、あの頃の「憧れ」の実現を望む一方で、すでに、何かに気がついていたのかもしれない。高度成長期の絶頂に「傷だからけの天使」が伝説になり、バブルの絶頂期に向かって「北の国から」というドラマが始まって、崩壊後もサスティナブルに続編を続けていく…

バブルの絶頂期に貧乏な生活を謳う物語だったのに。

「北の国から」のシリーズが終わったのが2002年。

そして、今は「新しい戦前」とも言われる時代。僕らは「傷だらけの天使」というドラマを、「北の国から」というドラマを、どう観ればよかったのだろう。

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