財政ファイナンス
以下は、集英社新書「戦後80年はあるか ー『本と新聞の大学』講義録3」(一色 清/姜 尚中/内田 樹/東 浩紀/木村 草太/山室 信一 /上野 千鶴子 / 河村 小百合 著:2016年)からの引用。
日銀はデフレ脱却のために国債を買っていると言っていますが、やっていることはほとんど「財政ファイナンス」です。財政ファイナンスとは、中央銀行が政府から国債を直接引き受けることで、歴史的経験から、財政ファイナンスをやってはいけない、というのが世界の各国共通の常識になっています。国が発行する国債を中央銀行が買って政府にお金を提供すれば、政府は自分の国の景気がよくなり、政府も儲かるから都合がいいのですが、最終的にはものすごいインフレを引き起こすことになり、悲惨な目に遭うのは庶民です。ですから、第一次・第二次世界大戦後の状況を経験してからは主要国で採用した国はありません。
これは河合さんの発言。
この国の戦後教育が最も苦手にしたのが「歴史に学ぶ」。故に第一次大戦後のドイツでは「ベビーカート一杯」の札束でパン半斤しか買えなかったとか、昭和恐慌の経験者であるうちのひいばあちゃんをして「死ぬかと思った」という、」第二次大戦敗戦直後のこの国のハイパー・インフレなどの経験は、どこかに飛んじゃっている。
世間は何事も忘れっぽい。
でも、これからどうこうできる問題でもないのだろう。衝撃を和らげる工夫は出来ても、墜落は免れないのでは。
河合さんはこうもおっしゃっている。
日本はプライマリー・バランスも財政収支もギリシアよりずっと下の、ずっと悪いレベルだというもに、平気な顔をしています。しかし先ほどからお話をしているように、近い将来、海外金融情勢が変化すれば、一段の円安が進行し、資金流出が始まる可能性は否定出来ません。もしその時、日銀が、自らが債務超過に転落するのを避けるため、金利の引き上げ誘導を十分に行うことができず、結果的に「非連続的な債務調整」局面に突入せざるを得なくなるということは十分あり得ます。そうなれば国民からむしりとって、最後につじつまを合わせるほかにない、ということになるでしょう。
つまり、「国民に有無を言わせない強制執行」によって国民の課税資産を差し押さえ、もしくは政府が財政制度上負っている歳出の義務と相殺することにより財政運営を継続するよりほかに方法はなくなることが考えられます。
まず、できる限りお金のかかる生活をシェイプし、資産などから身軽になることだと思う。
親方日の丸な終身雇用制的「一社奉公」主義が過去のものであることは明白。マニュアル・レーバーな就業、特に「発注管理」みたいな就業は危険。現場仕事だって、AIにも労働市場の国際化にも弱い。
どんな時代になっても、なんとか食っていけるだけの収入を確保できるようにすること。いくつかの収入源を小さく持つとか。お金を使わなくても豊かに暮らせるライフスタイルを確立しておくことだとか。
もうすぐ「闇市からのやり直し」。
座して死を待っても、人間、案外、死ねないもの。
生き地獄に苦しむ毎日を迎えないために準備を怠らず。