裏横浜に暮らす
例えば野毛に、都橋商店街のビルに、今も息づく闇市から戦後の混乱期までのノスタルジックな風情を求める。でも、あの時代を、あの場所で切り抜けてきたはずの ひいばあちゃんにとっては あのあたりもただのシノギの場所で、彼女からサウダージな話しは聞いたことがない。
ただの生活の場なんだ。
僕にしても、野毛あたりは、高校生の頃、学校をサボってJAZZを聞いていた街だし、その後も「呑む場所」ではあっても「闇市から戦後の混乱期までのノスタルジックな風情」を求めて行くところではなく、そんな風情を漂わせていた店も知らない。都橋商店街のビルは、敗戦直後からの露天商をまとめたビルだそうだけれど、「闇市云々」とは関係なく、靴屋さんは、ただただフツウに靴屋さんだった…それが子どもの頃の記憶だ。
福富町あたりも空襲にやられるまでは職人さんと芸人さんの街で、ひいばあちゃんに鮮明なのはそのあたりの記憶。「ノスタルジックな風情」ではなく「ピンピンした日常」が息づく街としての記憶で、亡くなるまで、そこに影がさす感じはなかった。
闇市のイメージで語られる野毛や都橋商店街のビルあたりは、誰のためのものなのか。少なくとも、あの街に暮らしてきた人たちのものじゃないんだろう。つまり「フィクション」を求める人たちのもの。それが悪いとはいわないけれど、だから、あのあたりに行って「闇市から戦後の混乱期までのノスタルジックな風情、そのリアル」を探すべきではないのではと思う。
僕と奥さんも、ヨコハマの名だたる歓楽街に10年以上を暮らした経験がある。隣の洗濯屋のおじさんは「血」染みをキレイに落とすことができるのが自慢で、その洗濯屋さんには、やたらとミニなセーラー服や赤い縄が並んでいる。薬屋さんは消毒液の品数豊富なのがウリ。業務用でやたらにデカいボトルのものがたくさんある。非常線が張られて「我が家」に帰れなかったことはあるし、しばしば刑事さんが聞き込みに来たけれど、直接的に怖い思いをしたことはなく、上からブラジル人同士の乱闘を見物することはあったけど、まぁ、フツウに暮らしていて…
つまり、外から見れば、語り草になるような「ディープなヨコハマ」にも、住宅街と、さして変わらぬフツウの「日常」がある。そういう時間が流れている。(そうでなければ10年も暮らせない)。
ある部分だけをピックアップして書いてしまうと「ピックアップされた部分」が全てのように思えてしまう。でも「警視庁24時」みたいなTV番組を撮ってるすぐ横で、実際には、うちの鈍臭い奥さんが、しゃがんで路肩の花を撮っていたりして、その花はフツウに可愛かったりする…それがリアルだ。
僕らは、襲われもせず、あの街でフツウに暮らして10年以上を過ごした。
たぶん、番組にも、本にもならないんですけどね。でも、生活ってそんなもんです。
逆に言えば、何かのテーマで括って視覚を選んだ時点で、すでにフィクションは始まっていて「リアル」からは遠ざかりはじめている。本だってTV番組だって尺に限りはあるんだから編集しなければならないし…
そして、そのフィクションは、そこで暮らす者のためではなく「よそ者」のための物語なんだろうな。その街で暮らしている人にとっては、そこに「日常」があるだけだから。