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「私」以外「私」じゃない。

すでにY世代に光が当たりはじめ頃から
この苦境は始まっていた。
言わずもがな、Z世代の人世代前だ。

リヴァ・フロイモビッチさん。
ウォール・ストリート・ジャーナルの28歳(当時)の記者。

彼の著作「僕たちが親より豊かになるのはもう不可能なのか 各国『若者の絶望』の現場を歩く」の邦訳版が出版されたのは2014年だった。

賃金は安く、雇用は不安定で、税金は高いのに社会保障は減る。
大卒、大学院修了でも、炊き出しの列に並ぶ。
これは「史上もっとも高学歴なのに職につけない世代」
アメリカ、イギリスから日本、スペイン、イタリア、ギリシャ、アイルランド、中国、ブラジルまで、50人以上の「Y世代(1976〜2000年生まれ)に取材。彼らのリアルを可視化した。

彼は、こういう時代だから「待つな」と言う。

Y世代はこの危機に真正面から立ち向かっている。いわばリンクトレインの共同創設者リード・ホフマンの言葉をそのまま実践しているのである。ホフマンは、自分の人生を永遠のベータ版と見なすよう訴えている。ベータ版とは、正式版を発表する前に消費者に試用してもらうためのソフトウエアを指す。ベータ版の試用期間は絶えず内容を改善・発展させていく期間であり、Y世代もそのような生き方に慣れることが要求されているということだ。

「ホフマンは勝ち組じゃないか」という前に

確かに「永遠のベータ版」は、Y世代でなくとも、これからの時代にリアルな心得ではないかと。「ベータ版(β版)」とは「正式にリリースされる前に、ユーザーに試用してもらうためのソフトウェアやアプリのお試し版」のこと。つまり時代の流れが早いから「これで終わり」「これで完成」ではなく、ずっとアップ・デートを続けていく姿勢を持っているべきだということ。

絶えず臨戦体制で、ホッとしている間がないわけだけれど…

もちろん自分のせいじゃない。でも「なぜだー!」ではなく、時代についていこうとする、その姿勢。まさに「慣れる」。

高度成長期みたいに「なんだかわからないけど、みんなについていく」ではなく、自分なりの処世を自分で考えていくこと。

「攻めの人生」 カッコつけて、そうするんじゃなくて。

老後のために投資という選択もあるだろうし、僕などは、お金から距離をとって「食べ物は自分でつくる」の方向に舵を切った。そのために引っ越しもしたし、ビジネスな感じの「つきあい」も止めた。自分なりの「HUB」づくりにも(楽しくだけど)努力している。

とにかく、この時代に「既成の安全牌(あんぱい)」などないということだ。トレンドを追って、いち早くコピーするという感じにライフデザインするんじゃなくって

自分一人で考えて、判断して実行する。

昭和に引っかかって生まれてきた世代は、少なくとも、こんな感じに自分をアジャストすることだ。

もう「組織の一員」を目指す時代でもないし、既存の情報を貼り合わせて、ライターという時代でもない。