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大衆化

数年前、コロナ禍前のこと。

NHK総合、ニュースワイド「ニュース シブ5時」で、京都から中継。舞妓さんと遊ぶようなお座敷の敷居をさらに下げるために、簡易ステージの前にテーブル席を並べて、一人=6,500円。ステージ上の舞妓さん遊びをみんなで共有みたいな展開を試みていくんだみたいな。祇園だったか上七軒だったか、このご時世で台所事情が苦しかったんでしょう、いわゆる「大衆化」です。

今は昔の1980年代、大衆でも羽振りはよくて、まだ敷居は低くはなかったとはいえ、その頃すでに「大衆化」は始まっていた。お店の方も、うるさい玄人のお客さんより素人転がしてた方が楽だったんでしょう。複数のお茶屋さんがその方向に流れ、格式もへったくれもなくなって、置屋さんや仕出し屋さんが看板だけ別の「お茶屋さん」を経営するなんていう事例も出てもきていた。

そして、そのバブルが弾けて、今はその頃の蓄えも尽きて久しい…

でも、一度、大衆化してしまったお店を高級店に戻すことはできない。舞妓さん、芸妓さんの実力まではなんとかできたとしても(ホントはそれも難しいんでしょうが)、料理の素材の目利き、板前さんの腕、仲居さんの技量などは簡単に元に戻すことはできないから。

(大衆店が予算をケチっていくポイントこそ、高級店には不可欠のもの。板前さんや仲居さんの長年にわたる教育費なども同様)

ヨコハマの中華街などでも同じことがいえるかな。カジュアルにはちょっと行けなかったお店がバブルの頃に、少しだけ緩くなって、あとはずっと飛行高度を下げて今日に至る。
今は品数勝負の立派な大衆店。しかも、ゆとりがないから原価率からメニューを考えるんで、値段にしては不味い。だからといって、客単価上げて高級店に戻したくたって、かつてのお客さんはとっくに逃げてしまって、専属の麺点師までいた厨房も今は昔。なんだかフランチャイズの中華屋さんと似たり寄ったりなお店に落ち着くしかない。

でも、そうしたら、大衆はベーシックインカムかも、という時代になってしまった…

たぶん。みんなにバカにされながら高級店を止めなかったお店だけが生き残るんでしょう。ヨコハマの中華街にも、1日に1組しかお客さんを取らない、看板も上がっていない「みんなにバカにされながら高級店を止めなかったお店」が中華街を離れて健在。

たぶん、あそこは大丈夫なんでしょう。口コミだけで充分やっていけるだろうし、等身大だし。中華街ではまだまだ大型店の倒産が続いている。…否、本格化するのはこれからかな。ゼロゼロ融資の返済もせまったるんだろうし。