見出し画像

あれは「まち」ではない

いくどとなく繰り返すけれど、空間づくりが「まちづくり」ではない。だって「まち」って人が暮らすところだから。

そこが「街」なら、多様な人々が集まって暮らす。この人たちが、それぞれに幸福に暮らす。空間さえ造っておけば、そんなことは自然にできていく…そうだろうか。

少なくとも誰か調整役はいるんじゃないのか。だって、多様なんだから。
弁護士さんの隣に暮らしているのが、パテシエさんかもしれないんだし。

だから「まちづくり」は、建築会社、不動産屋さん、都心再開発を行う三菱地所や三井不動産のようなデベロッパーの仕事でもない。

(今は、なぜか税金で基盤を整備して、そこにデベロッパーが建物を含む空間を造ってテナントを誘致し利益をあげ、「人々の暮らし」についての面倒ごとは、これを税金でまかなうという形が一般的だ)

まちに管理者がいる。建物に管理者がいる。
これも不動産屋さん、都心再開発を行うデベロッパー、行政の都合だ。

利用規約で縛って、それでいいなんて、これじゃあ、街に暮らすというより軍隊に入隊したようなもの。「黙って住んでろ」では多様性もへったくれもないんだけど、これがデベロッパーや行政にとって手間のかからない「空間づくり」とも連動していて、その空間を選ぶ居住者や店舗は「規約」と「j管理者」に飼われるように、そこに暮らす。「鶏のケージ」に住んでいるようなものだ。人間らしく暮らしているとは言い難い。

ショッピングタウンも、まず施設管理者が規則で管理されている。各店舗の自主性は著し制限され、施設の営業担当でさえ、管理者には「従」の関係にある。

三井のすずちゃんがどう言おうが、これって「街」かな。「まちづくり」かな。少なくとも僕は三菱地所と次に行こうとは思えない。

2021年の東京オリンピックだって、観客入れなくたって、感染を拡散させたって強行したんだから、空間づくりのためのオリンピックだったんだろう。選手のみなさんの尊い汗も、そのための理由に過ぎなかったんだろうと思う。

全国津々浦々、特に都心はカオナシになった。映像化されたとき、テロップが入らなければ、どこの「まち」だかわからなくなってきているの実情だ。これもデベロッパーなりのビジネスの効率性のための画一的な大量生産の賜物だ。

あるとき、香川県に新設された施設のレセプションに招待された。会場に並ぶパイプ椅子の背もたれには、僕らはよく知る東京のレンタル業者の名前があった。
ある県で開催された中心市街地の再開発のための検討委員会。手元に事例集があって、その表紙の写真は横浜の元町の通りだった。でも、2時間ほどの会議が終わるまで、僕はそのことに気が付かなかった。

今も、子どもの頃を過ごした元町あたりにも浦島太郎の気分に接している。
オヤジの家がある上野、御徒町、浅草や蔵前などもそうだ。

まちを解放してやらなければならない。デベロッパーや管理者の思うがままに隷属し続けてはならない。

この場合「忍従」は、まったく美徳にならない。

画一的な品物を大量に生産し大量に消費して経済を回していく時代はとっくに終わっている。だから規則で縛る、「画一的」をあてがう時代ではない。
これからは、多様性をうまく活かして経済を回していく時代だ。我慢を強いる時代ではなく、解放を実感させてナンボだ。

特に都市はそうだ。

今すぐにでも嘘っぱちの「まちづくり」を止めないと、情緒的な観点から出なく、本格的に、僕らの食い扶持につながる弊害となっていく。

あれは「まち」ではない。

最後に長いけれど、ジェイン・ジェイコブズさんの「鋪道のバレエ」を再掲しておく。

僕が生まれた1961年に出版された彼女自身の著作「アメリカ大都市の死と生(The Death and Life of Great American Cities)」には以下のような一節がある。それは「わたしの暮らすハドソン通りは、毎日複雑な鋪道バレエの場面となります」からはじまる。

都市街路の信頼は、街頭で交わす数多くのささやかなふれあいにより時間をかけて形づくられています。ビールを一杯のみに酒場に立ち寄ったり、雑貨店主から忠告をもらって新聞売店の男に忠告してやったり、パン屋で他の客と意見交換したり、玄関でソーダ水を飲む少年二人に挨拶したり、夕食ができるのを待ちながら女の子たちに目を配ったり、子供たちを叱ったり、金物屋の世間話を聞いたり、薬剤師から1ドル借りたり、生まれたばかりの赤ん坊を褒めたり、コートの色褪せに同情したりすることから生まれるのです。

こうした情景を彼女は、人々の暮らしを、鋪道という舞台で演じられるバレエのようだと称えたわけだけれど、確かに、個性が個性のままに響き合う時間を過ぎせそうな街角なら、それ以上に豊かなものはないのだと思うんだ。
「これから」っぽくもある。