根拠のない自信と結果に裏付けられる自信と


自信がない

そういう声をよく聞く。大人になるにつれて、その声は多く、そして大きくなっていく。一体どうしてなのだろう。

そもそも「自信」とはなんなのだろうか。
広辞苑によると、

自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどをみずから信じること。
また、その気持ち。

と定義されている。
文字通りの意味らしい。”自”分を”信”じるから、自信。

では、信じる、とは何なのだろうか。
国語辞典によると、

【信じる】
①少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思う。 
②自分の考えや判断が確実であると思う。 確信する。

ポイントは”少しの疑念も持たない”とか”確実”だと考えている点にあるようだ。

待て待て。

確実に、雲ひとつなく澄み渡った晴天のように、疑念のカケラもなく、そのことが本当である、真実である、というように考えられることなど、この世に幾つ存在するのだろう。

そう考えると、「本当の自信」なんて誰も持っていないのかもしれない。


話は変わる。

ぼくは”根拠のない自信”を持っている。わからないけど、きっとぼくならできるだろう、という自信だ。それは確信に近い。でもそれはなぜかわからない。感性がそう訴えかける。

これを読んでいる、モノ好きなあなたにもそのような経験はあるのではないだろうか。なんかよくわからないけど、できそうな気がするあのワクワク感を。

もちろん、ぼくも全てできるわけではない。プロバスケ選手を目指したのにプロになれなかった自分に嘘はつかない。
それでも、ぼくならできる、という脳内ハッピー野郎でここまで生きてきている。


成功体験が自信を強固なものにする、ということもある。
言い換えると、”結果に裏付けられる自信”である。
テストで100点を取ったから、次回も良い成績を取れると思う、ような感覚である。

しかし、それだと、成功しない人はいつまで経っても自信を得ることはできないということになってしまう。
貧困国に生まれた子どもは貧困から抜け出すのが難しいように…
リボ払いから抜け出せない人のように…
自転車操業の経営が続いている会社のように…

この考えによれば、成功し続けることでしか自信に満ち溢れた人は生まれない、ということになる。
負の連鎖はどこかで断ち切らないといけない。


或いは、積み上げてきたもの(過程=努力)、それをしてきた自分を信じるということもある。
これも一種の”結果に裏付けられる自信”であると考えられる。
過去の自分が何をしてきたのか、ということに自信の根拠を求めているからである。これは、行動に移すことはできているが、その最中に不安を感じている”挑戦者”に多いだろう。


根拠のない自信、とは言い換えると、
「可能性を信じている」ということに他ならない。
できるかどうかなど、やってみなければわからない、
やってみなければ、できるようになることはない、
だから、まずはやってみる、というロジックである。


それはある一つのエピソードに由来している、のだと今はそう思う。


小学校1年生のとある全校朝礼のとき、あるピアニストが来てくれた。
興味もないピアノの演奏をどうして聴かなければならないのかよくわからなかったし、サッサと終わらないかな、と思っていた。そうして演奏は始まった。

圧巻の演奏だった。いつもはいうことを聞かないヤンチャ坊主たちも、固唾を飲んで演奏に聞き入っていた。

ピアノを弾いたことのない素人でもわかるほどの指さばき。
体育館の後方まで聞こえてくる鍵盤を叩く音。
本来あるはずなのに1枚もない楽譜…?

暗譜している、から必要ないわけではない。
あっても意味がないのだ。


そのピアニストは、盲目だった。


目が見えないのに、どうしてあんなにたくさんの曲を全て覚えて、一度もミスすることなく、演奏できるのだろうか。ピアノに興味なんてなかったのに、それはとてつもなく印象に残っている。

演奏が終わった後、その演奏者の方は少しばかり照れた表情でスピーチを始めた。
ある程度進み、とても真剣な表情に変わり、こう言った。

「ぼくは生まれつき目が見えない。でもそれをハンデだと思ったことなんてない。目が見えたらもっとできるって思うかもしれないけど、ぼくはそうは思わない。目が見えない、それがぼくだからね。それでも不安になることはある。そう思ったとき、いつも自分に言い聞かせる魔法の言葉を、最後に君たちに伝えたい。」

そうして、彼はゆっくりと、しかしさっきまでの優しい口調とはうってかわって、力強い声で、こういった。

やればできる。
ぜったいできる。
できないのはやる気がないから。
今からやります。

試験前日の深夜2時、試験範囲に全く手をつけていない科目を勉強する時。
上がりそうにないウェイトを目の前に、逃げ出したい時。
締め切り前なのに仕事が全く終わる気配がない時。
スペイン語なんて全く話せなかったのに仕事を辞めて2ヶ月後には現地にいた時。

全て、やる気(=モチベーションコントロール)を第一に、やってみることにチャレンジしてきた。
やらなければ、できるわけがないのだ。


それでもできない人がいる。いや、やらない人がいる。
理由を聞くと大体が、こう答える。

「頑張っても自分には無理だと思うから」


違う、それは本心じゃない。さらに質問を重ねるとようやく本音が見えてくる。

「頑張ってやったとして、もしできなかったら、恥ずかしい」


これだ。これなのである。

恥ずかしい=人からの評価が下がることが怖い


これが挑戦を阻害する最大の要因だ。
自分視点ではないのだ。
他人視点で自分を見てしまっていることに最大の要因がある。

頑張れない、が理由なら一緒に頑張ってあげたらうまくいくかもしれない。

できるかわからないから嫌、が理由ならできることからチャレンジしたらいいかもしれない。

人がどう思うか気になる、が理由だと、ミスを許容する環境を用意してあげれば良いかもしれない。

ミスは成功の過程だ。成功を諦めた時、失敗が影から顔を出し始める。


勇気を出して、1歩を踏み出せるか。
挑戦するのも一苦労だ。
成長するのはその挑戦の最中。
その挑戦の最中にも不安はやってくる。
その不安を乗り越えた先に、望む物が待っている。

”自信”と”不安”の往復書簡。
書簡だから厄介なのだ。LINEだったら迅速なのに。
このご時世に郵便である。時間を要するのも無理はない。
たまにはアナログに自分と向き合うのも良いのではないだろうか。


最後に。

自信もいくつかあるようだ。
フェーズに合わせて、自分自身をプッシュするセルフコーチングができると、何かに役立つかもしれない。

”結果を信じる”
 1つの挑戦が終わり、次のステップに向かうきっかけになる。
”積み上げてきた過程を信じる”
 何かに挑戦しているとき、背中を押してくれる支えになる。
”可能性を信じる”
 何かに挑戦しようと思うきっかけになる。


そして、ぼくの大好きな漫画二冊の名言を紹介しておく。

自分を信じられない奴に努力する価値はない
〜NARUTO  マイト=ガイ(ロック=リーの師匠)

努力の天才、ロック=リーが挫けそうになった時にかけられた言葉。
自分が可能性を信じられないのなら、努力しても効果はない。それはただの自己満足にしかならない。やっている自分に陶酔しているだけである。

情熱はいつも悔しさに勝るんだ
〜あひるの空 車谷智久(空の父)

主人公の空の先輩である茶木が練習試合のミスにより、監督である智久にPGのポジションから外されて、部活をサボるようになった時に呟いた言葉。
どんなに悔しいことがあっても、恥ずかしいことがあっても、成し遂げたいという情熱がある限り、ヒトは挑戦し続けられるという想いが込められている。


ここまで「自信」について色々と説教がましく言ってきたが、自信はあくまでも「自信」であって、「評価」ではない。

他人の目を気にし始めると、自信は吹き飛ぶ。ぼくもそうだった。
バスケをはじめとする、団体スポーツは難しい。コーチがいるからだ。
コーチの評価が選手起用を決めるからだ。そこできっと悩むのだろう。
それはきっとビジネスの出世競争でも同じだろう。銀行でそうだった覚えがある。

他人の評価で生きていくのか
自分を貫いていくのか

後者は道のりが険しい、覚悟の必要な茨の道だ。

選手も山ほどいれば、指導者(上司)も山ほどいるんだ。
自分を必要としてくれるところに行けばいいじゃないか、と。
あくまでも指導者(上司)が定めるのは「選手起用」であって「選手価値」ではない、というのが自論だ。

つまり、価値の最大化≒個別最適が選手の仕事。
料理なら良い具材・素材となること。スパイスでも良い。

指導者の仕事は育成による個別最適と全体最適の両立。
料理であれば、良い土壌(環境)を準備することと、具材を尊重した料理をすること。どの具材を使えば一番美味しくできるのか、を考える。


そもそも仕事が違うのだ。
自分にコントロールできない他人の評価に気を取られてもどうしようもない。
トマトやきゅうり、スイカは夏に人気があるが、冬は活躍の場がない。
お米なら年中活躍できるが、競争相手は多い。
そういうものだと考えている。それぞれの良さを認めている。


自分がどうなりたいのか考えて、自信を持って売り込めるように、成長していった方がチャンスは広がるんじゃないかなぁ。

どうせやるなら、情熱を持って、楽しく生きた方が、ハッピーなんじゃないの?と思う、三十路のおっさんの独り言。



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松本大輝
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