【論考紹介】 “ロシア民間軍事会社について、フリードリヒ大王の軍隊が教えてくれること” (WHAT FREDERICK THE GREAT’S ARMY CAN TELL US ABOUT RUSSIA’S PRIVATE MILITARY COMPANY, by @KKriegeBlog, WOTR, 27.03.2023)
ロシアのPMCであるワグネルを西側の識者は、“傭兵団”・“懲罰大隊”という言葉で語ることがあるが、そのどちらも歴史的文脈を考えると、ワグネルの立場やその戦闘スタイルとマッチしない。
その強みも弱みも含めてワグネルを理解するためには、18世紀フリードリヒ大王時代の“フライコーア(義勇軍団)”を参照することが、その理解の一助になる。
18世紀のフライコーアは、大貴族や資産家が出資して設立した私設軍団で、常備軍に欠けていた柔軟性と適応力を備えていた。また、その指揮官・出資者は自身の立身出世のためにフライコーアを利用したが、彼らの政治的役割は国益の観点から慎重に管理されていた。
フリードリヒ大王の7年戦争というと、鉄の規律をもった戦列歩兵による厳格な横隊戦術が有名だが、18世紀版“民間軍事会社”たるフライコーアが果たした役割はあまり知られていない。
フライコーアの人材源はワグネル同様に“囚われ人”だが、フライコーアの“囚われ人”は戦争捕虜であった。それゆえに嫌われ者集団でもあり、フリードリヒもひどい言葉で罵っていた。それゆえにフリードリヒはフライコーアを“人海戦術的突撃”の手段として使用した。
一方で、フライコーアは常備軍よりもはるかにイノベーションの才を示し、横隊戦術ではなく、土地を隠蔽物として利用した。木々に隠れて、家屋のなかから、伏せた姿勢で、岩陰から、稜線に隠れて射撃した。さらに、戦闘後に評価分析を行い、次の戦闘の教訓を導き出すことも行った。
また、フライコーアは18世紀版諸兵科連合部隊を編成していた。つまり、戦術レベルで騎兵・砲兵・歩兵の統合部隊で戦ったのだ。あるオーストリア軍の退役兵は、擲弾兵を連れた軽騎兵をプロイセンが展開させ、それにより自軍軽騎兵が不利になったことに関する不平を述べている。
硬直したドクトリンに支配された軍隊内で、正規の軍組織から外れた戦力が、最も適応できる余地をもっていることが、18世紀のフライコーアから分かる。
現下のウクライナ戦争に関して、軍事専門家たちはワグネルの優秀さ・柔軟さを指摘する。一方でワグネルには正面突撃を行う囚人兵もいる。この辺り、18世紀フライコーアと似ている。
さて、18世紀のフライコーアは最後はどうなったのだろうか。ここからワグネルの未来がみえるかもしれない。
フリードリヒ大王は正規の指揮系統外にある部隊を無用と判断し、フライコーアを強制的に常備軍に統合した。さらにフライコーアの指揮官(設立者)のなかには、プロイセン国外に逃亡せざるを得なくなった者もいる。プリゴジンは、この18世紀の先達たちの運命を、よくよく考えておいたほうがよいかもしれない。
なお、プリゴジンを現代のワレンシュタインとみる見方もあるが、この見方は正しくない。ワレンシュタインと彼の傭兵軍団は帝国の軍権を独占しており、結果的にワレンシュタインは自身に政治的権限があるものと感じていた。しかし、プリゴジンがロシアの政治的意思決定に関与しているとは考えにくい。それゆえにプリゴジンはワレンシュタインの後継者というよりは、18世紀フライコーア設立者に近い。
また、報道によると、現在のロシア国防省はワグネルを使い潰そうとしており、また、プリゴジンはウクライナでの大規模戦闘に耐えられなくなっているようだ。時が経たなければ分からないことではあるが、これをみても、ワグネルはフライコーアが歩んだのと同じ道を進んでいる可能性が高い。
一般的に軍事組織というのは、敵対国の軍事組織を正当に評価する一方で、非正規組織を過小評価しがちだ。しかし、ワグネルを現代版フライコーアとみなすことで、ワグネルが柔軟で適応力を持つ危険な組織だと理解することは容易になる。ワグネルは、ウクライナ軍と西側にとって問題となる能力を抱えた組織なのだ。