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【SNS投稿和訳】進展が「遅い」攻勢は失敗なのか?(Paul Poast氏)

上記のXでの連続投稿(日本時間9月2日20:30〜20:41)で、シカゴ大学のポール・ポースト氏は、第二次世界大戦のノルマンディ以降の西部戦線を例に、「遅い」と思われている攻勢が必ずしも「失敗」した攻勢になるとは限らないことを説明しています。以下にその連続投稿の日本語訳を示していきます。なお、添付画像は一部を除き、ポースト氏の投稿からの転載になります。

日本語訳:

最終的な成功に関して、公衆の疑念を招くことになったゆっくりと進展した反転攻勢について語っていきます。

もちろん、ここで挙げるのは、1944年のナチス・ドイツに対する連合軍の進撃についてです。

6月6日に米英加軍が開始した“D-Day”進攻作戦はよく知られています。史上最大の上陸作戦であり、ナチス・ドイツに占領されていたフランスの解放という結果を導くことになりました。

要するに、この作戦は成功した反転攻勢だったのです。

ですが、この作戦の進捗が、連合国の期待よりもゆっくりとしたものであったことは、あまり認識されていません。

6月6日がまさに進攻「開始」日であったことを踏まえておきましょう。そして、7月末になって、ようやく連合軍は、ノルマンディ上陸拠点からの「突破」を検討できる地点に到達したのです。

ドイツが連合軍の進撃を阻止するために全戦力を投入できなかったという事実があったにも関わらず、連合軍の進捗は遅いものでした。ところで、なぜドイツは全戦力を投入できなかったのでしょうか? ドイツは東部の第二戦線においてソ連軍と戦っていたからです。

東部戦線において、ドイツ軍は急速に後退しているところでしたが、西部戦線での連合軍の取り組みが失速した可能性があるという広く共有された懸念が、7月末まで存在していました。

以下は1944年のニューヨーク・タイムズ紙7月16日付記事です。そこには、状況は「危険なほど膠着状況に近い」と説明されています。

最終的に連合軍は、ノルマンディ地方から「突破」する位置につき、フランス内陸部へ向かって進撃することになります。

ですが、8月が始まるまで、要するにノルマンディへの進攻が始まってからほぼ2カ月の月日を費やすまで、この進撃は起こりませんでした。

8月の進展は比較的迅速で、その結果、8月25日にパリが解放されました。

このすばやい進撃の主たる理由は、ドイツがフランス北部全体に強固な防衛線を設けていなかったからです。

フランス北部に防衛線を構築する代わりに、ヒトラーは「西方防壁」もしくはジークフリード・ラインと呼ばれる防衛線の強化を、ドイツ軍に命じました。

この防衛線は、独仏国境沿いに設けられた強固防御陣地システムです。この防衛線の突破は、容易なことではなかったでしょう。

「ジークフリード・ライン戦役」には、1944年秋季すべてが必要になる予定でした。進捗は遅く、そのことは広く公に認識されていました(1944年10月15日付ニューヨーク・タイムズ紙記事を参照)。

現在では、1944年秋季を「緩慢な」進捗と考えない傾向があります。

実際のところ、この4カ月のことをまったく考慮に入れない傾向があり、それはジェームズ・ノレル将軍がジークフリード戦役に関する米軍公刊戦史に寄せた前文に書いた通りです。

このような感じ方は、歴史家チャールズ・マクドナルドによる序文にも繰り返し反映されています。

ところで、ジークフリード戦役に関する米軍公刊戦史の全文のPDF版は以下リンク先から入手できます。

https://history.army.mil/html/books/007/7-7-1/CMH_Pub_7-7-1.pdf

「最終的には」、連合軍は防衛線を突破し、ドイツ国内へと進撃し、その進撃に途中でソ連軍と出会うことになりました。

その後、ドイツは1945年5月8日に降伏したのですが、それは連合軍による西部戦線反転攻勢の開始から11カ月後のことでした。

この11カ月という期間は、今日では「すばやい」ものとみなされるかもしれませんが、当時はそうとはみなされていなかったのです。

お分かりのこととは思いますが、私は1944年の連合軍戦役に関する教育のためにこれを書いているのではなく、現在遂行中のウクライナ軍によるロシア軍への反転攻勢について、より広い視点を提供するために、この文章を書いています。

米軍統合参謀本部のマーク・ミリー議長が指摘するように、「遅いこと」と「失敗」を混同すべきではありません。

ミリー発言と同じく、ウクライナ側もゆっくりとしたアプローチを支持している模様です。

ウクライナ軍反転攻勢に関して語ることはもっと多くあります。例えば、ウクライナはどこに向かっているのか? 相反する報告のわけは? 今後の行方は?、等々です。

これらの疑問は、のちになって検討が可能になる疑問です。

まとめます。1944年から1945年にかけて、連合国は弱体化した敵国に対して、極めて効果的な反転攻勢を実施しました。ただし、それはゆっくりとしたものでした。

攻勢戦争の性質は、このようなものなのです。

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