フタリノセカイ(2022/1/25鑑賞)
私が最初に知った愛は、決して性愛ではなかった。それなのに歳を取るに連れて、性愛が優先されるべきだという考えの人が多くなっていくような気がする。私はいつもそれを、置いていかれたような寂しい気持ちでじっと眺めている。
人は何を持って「愛されている」と言えるのだろうか。どうして傷付くことは簡単なのに、自分に向けられた愛を受け止めることは、なかなかできないのだろう。その答えはきっとひとつじゃなくて、人の数だけあるのだと思った。ふつうの愛なんてこの世のどこにもない。
作品を観終わってから、タイトルがだんだんと沁みて来る。いろいろ書いたけれど、これはふたりの物語なのだから、誰かによって語られるべきではない。語る権利を持っているのはふたりだけ。どんな物語だってそうでしょう。
もはや幸せのしるしみたいになっていた、婚姻届という名の紙切れを、破いて、千切って、宙に投げ捨てる。その風景が、出会ったときのふたりの世界と重なるシーンには、胸がぎゅうっとなった。理解しなくてもいい。私たちはきっと、彼らにそんな風景や記憶があったということを、知っているだけでいいのだ。
だからこそ、レビューはあまり読めなかった。「分かろうとしている」人たちがたくさんいて、少し怖かった。理論で語るべきではない。「ふつう」のラベルを上から貼るべきでもない。喫茶店で隣の席に座った人たちの恋バナを盗み聞きしたときみたいに、これまでの人生の中で友人たちが話してくれた数多の惚気話みたいに、この物語を少しだけ記憶にとどめて、そして手放そうと思う。
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