好きの根源。私がnoteを書く理由
こんばんは。今週もお疲れ様でした。ここ何週間かは仕事がうまくいかずメンタル的に厳しい日々を過ごしています。でも筋トレをしたりnoteを書いたりしているおかげでいい気分転換ができているように思います。その瞬間のことを常に考えないとできないことだからだと思います。マインドフルネスと同じ考えなのでしょうか。過去でも未来でもなく、今現在を生きていたいものです。だから終わった今日の仕事のことを考えても仕方ありません。私の今が損をするだけです。
自分の好きの根源は?
今日はなんの記事を書こうか少し悩みました。募集中のお題を見たり、少しだけあった下書きを見てもしっくりくるものがありません。Macの画面を目の前に、目を瞑って考えてみました。
どうせなら書いていて楽しいことを書きたいよね。
私にとって楽しいことってなんでしょうか。
筋トレ。読書。ゲーム。ピアノの練習(最近サボり気味)。YouTube。妻と戯れる。ドライブ。カラオケ。ネット通販。実家の犬と遊ぶ…。
いろいろと考えながら、それらについて書こうか迷っていました。でも他にないかな、と思っていたところ、
そもそも自分ってどんなことが好きだったっけ?
そんなことを考えました。
幼少期から自分はどんなことを楽しみに過ごしてきたのでしょうか。幼い頃のことを思い出してみながら、自分が惹かれたものを見直し、それが現在ではどうなっているのかを捉え直してみたいと思います。
保育所時代
はじめに、私はかなりの田舎の出身です。そのため近所に同じような年齢の子供がおらず、家族と一緒にいるのが常でした。それでも両親と兄1人と祖父母がいてくれ、田舎のため敷地も広いので寂しさを感じることもなくノビノビと過ごしていました。
小学校に入学するまでは保育所に通っていました。両親が共働きだったので祖父母が送り迎えをしてくれました。
帰宅後は兄や祖父母と過ごしました。けれど記憶の中では兄と一緒に何かをしたという思い出はあまりありません。思い出せるのは1人で何かをしている、もしくは1人で何かをしているのを祖父母に見せている私です。
好きな戦隊もののポーズも兄と一緒にはしていません。外で遊んでいても兄と一緒に行動した記憶はありません。雪が降って父に簡易のスキー板みたいなものを作ってもらって何度も滑ったこともありましたが、兄と一緒にはしていません。
小学校時代
徒歩で通っていたため、祖父母の送り迎えはなくなりました。小学校に入ってからはゲームを買ってもらい、本当に長い時間、ゲームばっかりしていたと思います。
でも誰か友達や兄と一緒にするということは少なかったのではないでしょうか。同じゲームを何度も何度も繰り返しして、自分なりのルールを作ってやっていたように思います。
初代ポケモンなんかでいうと、トキワシティの左側のオニスズメが出る草むらでニドランをニドリーノまで育てて、つきのいしを手に入れたらすぐに進化できるようにする、とか、フシギダネ以外は使わずゲームをクリアするなど不思議な縛りがたくさんでした。
レゴも好きでしたね。これは兄とした記憶があります。兄も思春期になりあまり一緒にしてくれなくなった時は本当に寂しかったです。それでも1人で何かを作って遊んでましたね。小学生の時に夕方に再放送のドラマをやっていて、そこで「お金がない」という織田裕二主演のドラマをやっていて、それがなぜか気に入ってレゴのニンゲンを織田裕二に見立てて行動させていました。今思えば謎の趣味です。
こういうなんでもありの想像ができたのはいい経験だったように思います。
そのおかげかクリエイティブなものは結構好きで、絵も描きましたし、漫画も描きました。ハムスターを主人公にした小説も書きましたね。ハムスターがエジプトを旅するというものです。世界観が謎です。
本を読むのが好きで特に好きだったのはハリーポッターでした。母に買ってもらってからは毎日寝る前に読みました。合計で各巻20回以上は読んだのではないでしょうか。そのためファンタジーがとても好きになりました。
こうみるとインドア派ですが、スポーツも好きでした。兄と野球をしたり、父にキャッチボールに付き合ってもらったり、インラインスケートをしたりしました。誕生日にサッカーボールを買ってもらって雨が降る中でも蹴っていたこともありました。家の敷地を一日中自転車でグルグル回っていた時期もありました。頭がおかしいですね。そうやって今でも運動が好きな素養を身につけていったのでしょう。
そういえば父に1人でできるトランプの遊び方を教えてもらってずっとやっていた時期もありました。
また、特に好きだったのはミニ四駆です。実際に買って作ったりもしましたし、ゲームもしたりしました。これは兄も一緒にしてくれたので楽しかったです。レイスティンガーの先から針が出てくるのに憧れて実際に針を装着するという危ないこともしましたね。
中学校時代
中学生になってからはクラブも待ったため、土日に家にいないことも増えました。また家にいる時は昼寝をすることが多く、正午から夕方までずっと寝ている、ということもよくありました。そのおかげで身長も伸びたのかもしれません。私は180センチを超えているのです。
遊ぶものといえばもっぱらゲームでした。兄がアーマードコアやGジェネレーションを買っていたので、私もそれで遊ばせてもらいました。アーマードコアに関しては特に力でねじ伏せるタイプの機体で圧倒することを楽しみました。兄と一緒に対戦したのを覚えています。
Gジェネはストーリーを進めるというよりは、好きなキャラクターや好きな機体をとにかく強くして圧倒的な破壊力で敵を駆逐することを楽しみとしていました。当時は特にムウ・ラ・フラガが好きでメビウス・ゼロを最強にしてどんな機体でも一撃で倒せる、しかもダメージがカンストする機体に仕上げていました。スレッガーさんやランバラルも好きでしたね。趣味が多分変なんですよね。
中学時代にハマったものがもう一つあります。それはガンプラです。家族で外食をしにいった時に、ショッピングモールに寄ったのですが、そこにあった玩具屋で何気なしに父に「ガンプラを買って欲しい」といったら、いつもはあまりそういったものを買ってくれない父がプラモデルは面白いと言いながら、あっさりと買ってくれました。買ってくれたのはファーストグレードのシャアザクでした。ただ説明書通りに作っただけなのですが、それが楽しくていろいろ作りました。
これまでに作ったのは覚えているだけでガンダムマークII、ガンダムEz8、ザクⅢ、マスターグレードのシャアザク、デンドロビウムですね。あのプラモデルたちは今どこにあるのでしょうか。スプレーで色を塗ったり墨入れをしたり、とにかく工夫をするのが楽しかったです。
高校時代
高校生になり、ゲームは相変わらずです。この頃好きになったのはギターです。もともとBUMP OF CHICKENやアジカンが好きで、バンドサウンドにはまりました。それを自分もやってみたいと思い、書いました。
あれはどうやって購入したのでしょうか。両親にねだったのか、お金をためたのか、何かの祝いだったのか。全く覚えていません。しかしエピフォンの黄色のレスポールは今でも実家に保管されています。当時チャットモンチーも好きで、えっちゃんが黄色のレスポールを使っていたんですよね。多分。
大学時代
大学は地元を離れて一人暮らしをしました。相変わらずゲーム三昧です。
大学4回生になった時に車を購入しました。青のスポーティセダンでした。それをバイト代で少しずつカスタムしていくのは楽しかったですね。サブウーファーを積んで、音楽をガンガンにかけながらドライブに行くのが何よりも楽しかったです。
これまでを振り返って
こうやって振り返ってみると明らかなことがあります。私は1人遊ぶが大好きです。自分の頭の中で何かをイメージしながら没頭できるものが好きなのでしょう。だから今もこうやってnoteを書いています。
あるものについて、自分の感性や好きな方法で、自分なりの色を表現できるものに楽しみを覚えているようです。だから何かを作るという作業が大好きです。
大人になったいま、創作活動というのはどんなことができるでしょうか。現在で行っている創作活動はnote、ピアノ(練習サボり気味)、筋トレ(ボディメイクという創作)ぐらいでしょうか。植物はサボテンとガジュマルがいます。
他には何ができるでしょうか。写経とかにも興味があります。自由度はないですが。あとは塗り絵。写真もいいですね。
これから夢中になって何かを作りあげられるものをどんどん見つけていきたいと思います。たとえそれが三日坊主になってもいいのだと思います。自分がその時楽しみを感じられるのであれば。そうやって一人遊びをこれからも続けていきたいとおもいます。