私、ついつい窮屈になってしまうんです。(先延ばしについての試論)
なぜかこの記事を読んでくれている人、こんにちは。
「先延ばし癖」ってあるじゃないですか?
私、あれが本当にひどいんですよ。
それも、その都度人生のどん底までいっちゃうんです。
「私はどうしていつもこうなんだろう」「あんなに反省して、計画だってたてたのに」「本当は一週間前には終わっていたはずなのに」
「どうして動けないの」「取りかかれないの」
「もう、締切まで3日しかない」「間に合わない」「どうせひどいものができる」「周囲はみんな私に呆れるだろう」
「こんなこともできないなんて」「あぁ、苦しい。辛い。」「こんなことを繰り返すくらいなら」「もう全部捨てて、いっそ」
それでね、こんなふうに悲観して苦しんでおきながら、もっと奥ではこうも考えている。
(そうはいっても私は何とかして間に合わせるだろう)
(間に合わせられたらそれが成功体験になって、どうせまた同じことを繰り返すのだろう)
と。
そして更に、恐ろしくもある。
この乱高下(締め切りを控えての気分の低下、抑うつと、締め切り直前にスイッチが入ったとき、心臓がバクバクして極限状態の焦りに血がのぼって今度こそ脳卒中で死ぬんだと真っ赤なチカチカした視界の中に取り残される感覚)が死ぬまでただ繰り返されるなら、いつか私はこれに見切りをつけて、全てを放棄して人生から消えてしまうかもしれない。
私は自分が信用できないので、いつどこで、そのような選択をしても全くおかしくないと思ってます。
そして実際、何度かそのような選択をしようとして、ぎりぎりの崖のようなところで「でもまだ死にたくない!」と自分に泣きついて、どうにか戻ってきたこともあるんです。
そのような精神状態を作り出して、何とか自分に発破をかけて自分自身を活動させている気もします。
でもそれさえも、効かなくなる日が来るかもしれません。
あっさり、「そうだね。もういいよね。」と思うときがくるかもしれない。
その日、心は凪いで、風が爽やかで、お別れには最適な日であることも想像ができるのです。
一度、そういう目で世界を見た日があったから。
何ともつながらず、小高い丘のうえから、周囲を取り囲む山々と、静かに並ぶ家々を見たときに。
そこは多摩の霊園で、とにかく穏やかで、本当に風のいい日だった。
私はそのとき、どちらでもいい、と思ったんです。
こっちでもあっちでも、どちらでもいい。
どちらでもかまわない、と。
はっきりとそう思いました。
またいつか、そういう日がくるのかもしれないと思います。
何ともつながらずにいさえすれば、それはとても簡単で、心安らかなことだから。
ここまて書いてみて、そのような安らかな状態は、先延ばしの果てのあの血の池地獄とはずいぶん違うと思いました。
そう考えると、先延ばしという気分の乱高下は、むしろ、私をここに留めようとする私の工夫なのでしょうか。
私は自分にASD傾向があると考えていますし、発達障害と先延ばしの関係についてはよく書かれていますよね。
でも、こんなに沢山の人が先延ばし癖に悩んでいるなら、いわゆる発達の人だけでない、人類の普遍的な課題であるような気がします。
なぜ先延ばしをしてしまうのか。
色々書かれていますよね。
私の場合はついつい自分を窮屈にしてしまう心のせいかと思うんです。
私は結局、簡単な仕事は先延ばししないんです。
先延ばししてしまうのは、大きな仕事、プレッシャーのかかる仕事だけなんです。
ずっと「怖い」と思っていました。
その仕事をすることが、その仕事を完成させて、人々に評価され、無能の烙印を押されることが。
このことについて「そもそも自分が評価される可能性が1ミリでもあると考えられてるところに余裕があるし、間違っている」と言われたこともあります。
でも私は、私の感覚が間違っているとは思いません。むしろ、感覚に対して「間違い」と評価することはできないですよ。
私の「痛い」「怖い」「嬉しい」、これらの感覚はただの事実ですから。
私は怖いんです、人の評価が。
そして、こんなにメンタルスキルに関するコンテンツが流行り、「人の目を気にするな」系の格言であふれている世の中で、人の評価を気にするのは、程度差こそあれ、人間の本能ではないでしょうか。
この「怖い」の感覚は私にとっての事実です。
そのうえで、もう一歩考えると、私はこの感覚が大嫌いなんです。
「怖い」感覚は窮屈で、他人の目を持って、私をがんじがらめにするから。
私が心から好きなのは、ただただ自分の感覚と思考のみに没頭すること。
没頭に他人は不要です。邪魔です。
「怖い」は究極の、他人からの干渉です。
断固拒否すべきものです。
その拒否の形として、私は活動を停止し、抑うつ状態に入るのではないかと思うのです。
その状態から追い詰められ、頭に血がのぼることで初めて、私は「怖い」=「他人」を追い払える。
そこから初めて没頭し、手を動かすことができる。
考えてみれば、そもそも私は「締め切りのある仕事」が大嫌いです。締め切りは他人の決め事ですもんね。
大きな仕事が発生する→締め切りに間に合わない「怖さ」+評価される「怖さ」→抑うつ=先延ばし
私、マジでしょうもないなぁ。
解決策は2つあるように思う。
①締め切りのある仕事を引き受けない
②他人の目拒否モードへ早く移行できるようにする
坂口恭平さんのとっている方法が①
そして、世の多くの人のとっている方法、そしてよくあるアドバイスは結局は②で、いわゆる「他人の評価を気にしないアドバイス」も②の実現のためのものだろうと思う。
私にはどちらも本当に難しい。
①は今までやってきたライフスタイルを一から変えなければならない、という意味で難しい。
②はその技術の会得が難しい。
実は今も締め切りから逃げていて(だからこそこんなことが執筆できているのだが)、いったん抑うつモードになった心と身体を没頭モードに切り替えるのは本当に大変なのだ。
次の手を考えるとすれば、抑うつモードに入る前に、抑うつモードの手を借りずに、他人の目を拒否することだ。
なるほど、私はそのスキルを持ち合わせていない。
他人からの評価を無効化するには、どうしたらいいのだろうか。
私は他人からの評価が少しでも自分に流入してしまうと、どうも動きが止まってしまうようだ。
「他人を無視する」
この努力か。
「真に受けない」
この努力か。
私も結局、ちまたの格言と同じことばに落ち着くのか。
「他人の評価なんてクソ喰らえ」
「大切なことは、自分がどうしたいかだ」
あぁ、人の悩みとはかくもこう、しょうもない。
もっと、具体的な解決策はないものか。
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