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過去の自分に縛られないで

海外へ行きたい気持ちがあることについて
このnoteでもたくさん書いてきた。

そのわりに行きたい国も
海外でやりたいことも特になかった。

私が海外に行きたいと思っていた理由が
海外に来てみてようやくわかったかもしれない。

それは自分を変えられるのではという期待、
人とは違う経験がしたいという欲求だった。

そして、過去の自分に縛られていたということ。
今の自分がやりたいことじゃないのに
過去の自分のやりたいことをやろうとしても
やる気も出ないし楽しくないんだなって。
当たり前だけどそんなことに気づいたお話。


自分を変えられるのではという期待

自分を変えたいとずっと思ってきた。

18歳から20歳くらいのとき、
自分を変えたくてしかたなかった頃に
一番海外に行きたいと思っていたと思う。

あれから数年経って
コロナ禍を経て海外へ行きたくても
行けない状況が続いた。

そんな中でも新しいことを始めることができた。
今いる環境で変われるんだなと思った。
思ったというより実感した。
行動することでより実感をもてた。

なんだ、わたしってやればできるんじゃん!
と思ったし、自分のことが少しずつ好きになった。

だから別に海外に行ったところで
自分が変わることはないし
変わるとしたら変わろうと思って
努力した先にあるものだから
きっと海外に行ったからが理由じゃない。

海外に行く前に感覚として気づいていたし
言語化もできていたと思うけど
はっきり実感としてそれを感じた。

人とは違う経験がしたいという欲求

例えば、韓国とか台湾とかは若者が旅行でよく行きそうだし、オーストラリアは留学やワーホリでよく行きそうだし…

そういういわゆる普通の人が行きそうな国で
誰かがやっていそうな活動をするのが嫌だった。

みんながやってるからやるというのが嫌だった。
どうせならあんまりみんながやっていない少数派がやるようなことをしたいと思っていた。

でもそんな変なプライド?変なこだわりはいらなかったのかなと思った。

別に日本人がたくさんいてよく行くようなハワイに行ってもいいし、韓国や台湾だってみんなが行ってるから行くのも一つじゃないのかと思った。

ただそれに乗っかるのが自分の中で嫌なだけで
食べたいものがあるとか、行きたいところがあるなら行けばいい。シンプルだと思った。

でも、私は行きたい理由もなかった。
それならドラマのロケ地とか、推しているアーティストの出身地とか、そういうところを巡りたいと思ってしまった。私が好きなものはたいてい日本のドラマだし、日本のアーティストなので、必然的に行きたい場所は日本国内になる。

あー、本当は日本国内を旅したかったのかなと思った。

過去の自分に縛られていただけだった

今まで友達にも散々海外行きたいと言い続けてきて、でもなぜか実行できなくて、その矛盾が嫌だったし、なんでだろう?って思ってきた。

シンプルにやりたいことじゃなかった。
正確には数年前の自分(過去の自分)がやりたいことで、今の自分がやりたいことではなかった。

それだけなんだと思った。

それなのに、過去のやりたいことに縛られて
今の自分がやりたいことを無視していると思った。

過去の自分は、英語を使う仕事をしてみたかったし、日本語教師をやってみたかったし、海外で働いてみたかったし、いろんな国に行ってみたかった。

でも今の自分にとってはあまり重要ではなくなってしまった。

今は結婚したいとか子供欲しいとかそういう欲求も生まれてきたし、生活を豊かにしたい、日常生活を共に楽しめる、生きるを一緒にできるパートナーが欲しいなとか、47都道府県ライブ遠征で行きたいなとか、音楽またやりたいなとかそういうことがやりたいことだよなって

本当は薄々気づいていた。
元カレを理由にして海外に行くことを悩んでいるような気がしていたけど、言い訳だった。本当は行きたい理由がなくなっただけだった。海外に行きたいと思わなくなっただけだった。

旅行だったらもしかすると行ってみたいところはあるかもしれない。でも過去の私が願っていた自分を変えたいという強い気持ちはなくなった。

むしろ今の自分を愛したい、大事にしたい。
そんな気持ちの方が強くなっている。

気持ちが変わった自分を受け入れられなかった

やりたいことが変わる自分を受け入れられなかったし、またやりたいこと変わったんだって思われるのが嫌だった。他人の目も気にしていた。

友達に宣言したりすることで前に進めることもあるけど、逆効果になる時もあった。

あんなこと言っちゃったけどやっぱり別に海外行きたくないなとかさ。

でも一番はそういう変わった自分を受け入れられなかった。

過去の私がやりたかったことをやろうとしても
今の自分がやりたいことではない。
そういうこともあるんだなと学んだ。

初志貫徹とか、継続は力なりとか、
そういうのを大事にしようとすればするほど
苦しくなるなあと思った。

諸行無常。永遠に変わらないものはないと、変化を受け入れること。きっとそれが大事なのかもなあと思った。

気づいた小さな幸せ

海外に1人で来て感じたことはたくさんあった。
でも当たり前のことが幸せだと思ったし、日本で当たり前にできることは幸せなことだったんだなと思った。

1人で食事をすることが増えてやっぱり人と食べるご飯は美味しいなと思ったり。

10分以上お湯を出すとぬるくなるシャワーを経験して、時間を気にせずにお風呂に入れるのは最高だったなって思ったり。

当たり前に美味しいご飯が食べられる幸せとか、
(外食しても日本のクオリティの美味しさはない)

晴れの日が普通にある幸せとか、
(雨か曇りばっかりで憂鬱な気持ちになりやすい)

空気がきれいなの気持ちいいとか、
(バイクの交通量多くて基本空気悪い)

トイレがきれいなのって当たり前じゃないとか、
(基本トイレ汚いので腰を浮かせて筋トレを兼ねてトイレするのが普通になる)

洗濯物が普通に乾くのっていいなあとか、
(湿気がすごすぎて乾かないし生乾きになりやすい)

散歩する道がある幸せ
(散歩できるような衛生面きれいなところあんまりないし、みんな基本的に街の人歩いていない)

数えればキリがないほどある。

もしこれがたぶん旅行の数日だったら、
我慢すればすぐに日本に帰れるから、
そんなに不便とか不快でイライラ!!
なんてことなかったと思うから、
今回長期滞在を経て感じられたことだったと思う。

不快とか不便とかそういうのもひっくるめて面白いと思えたり、それを自分なりに工夫して生活するのが楽しいと思えたり、イライラせずに生きられる人はたぶん海外生活に向いていると思う。

わたしはおそらく向いていない側の人間でした。

というか、一人暮らしした時を思い出した。一人暮らし経験したけど、一人暮らしは家賃のために不便な土地に住んでいたからその不便さにイライラしたことを思い出した。

実家が一番住みやすい立地環境だなあって思うし、便利だし、通い慣れた土地、土地勘のある場所はやっぱり安心できるんだよね。

そんなこんなでいろいろ書いてきたけど
過去の自分に縛られず
未来の自分にも怯えずに
今の自分はどうしたいの?ってことを
大事に生きていきたい。

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