舞踏の思い出
二十歳頃にたまたま再会した同級生Mちゃんの言葉を何となく覚えてる。
「人は管のようなもの」
「作品は自分のウンコのようなもの」
暗黒舞踏をよく知っていた彼女が、美術大学3浪でウジウジしてた僕に知識を分けてくれていたんだと思う。
彼女に誘われて初めて観た、たしか「蝶」の字の入った2人組の舞踏は魔術みたいだった。
2人の足はしばしば舞台から3センチほど浮いてたし、
時間は、辛うじて息ができる程度にまで止まったし、
固くなった空気が体全体を圧してきた。
彼女には上星川にある大野一雄さんのワークショップにも連れて行ってもらった。
内容はほとんど覚えてないけど、帰りしなに握手させてもらったときの大野さんの手の皮のしわしわと、筋骨の力強さをはっきり覚えてる。
数年後に観た大野さんの公演は、人の魂が集まったり放たれているようで、静かで、眩しかった。
Mちゃんとの仲が途絶えてからも舞踏への興味は消えず、山海塾の公演を度々観に行った。
暗黒舞踏を煮詰めて灰汁を取り、その出汁を濃縮したような、荘厳。
天児牛大さんは、自分と同じ人間には見えなかった。
今もひとりで酔っぱらうと、舞踏の真似事をする。
たまに、魂と遊んでるように感じられることがある。
でもほんのひととき。
僕はずっと分かりたくて、もうすぐ分かりそうだと度々感じるけど、いまだに分らない。