ベンガルのバウル音楽について
私がバウル音楽の魅力にはまったのは、バングラディシュのクシティア地方で行われたラロンの音楽祭に数年前に行った時からである。
村一つを貸し切って4日間行われるそのお祭では、旅から帰還したバウル音楽家による演奏や国内外のアーティストによるパフォーマンス、色鮮やかなベンガルカルチャーの露店など、普段コンクリートジャングル生活をしている私からするとかなり浮世離れした光景だった。
バウルとは何か
バウルという言葉はサンスクリット語の「バトゥル」からきていて、狂気や風の病気などの意味を持つ。バウルとは、インドとバングラディシュに住む放浪民で、彼らの歌と踊りは宗教的境界を超えた普遍的な愛、調和、真理を追究している。バウルは、自分たちの感情や哲学を歌に込めてその場で口承していく。だから歌を書き留めることはほとんどないことからバウルの詳しい起源も不明のまま。学者たちは代わりに、バウルたちの歌を調べ、崇拝スタイルを共有する民族を調べ上げてあげた結果、似たような記述が1000年前のベンガル語の最古のテキストである「カリヤーパダ」に発見された。
Lalon Fakir(ラロンファキル)という人物
ラロンファキルとは18世紀にバングラディシュのクシティア地方のムスリムの家庭に生まれ、後に宗教的な境界を超えた信仰を持ち、バウルの指導者となる。ラロンの考えでは宗教も国境も何人を分けることはできない、そして誰もがバウルになれるというもので、宗教的教義や戒律に固執することなく、自分自身と他人とのつながりに焦点を当てるものが多い。彼の作った音楽はベンガルの詩人、音楽家、アーティストに多大な影響を与えており、バングラデシュの伝統音楽の大きな財産となった。
ー以下和訳ー
ラロンはこの世界のどの宗教に属すのか?
人々が疑問に持つ。
ラロンは言う。宗教とは何色なのだ、私は一度も宗教の色を見たことがない。
誰かはビーズをネックレスとして着けるし(ヒンドゥーロザリオ)、誰かはビーズを手に持ちカウントする(イスラムロザリオ)、これらを見て人々は彼らを違う宗教だと決めつける。しかしあなた達は生まれてきた時、もしくは死ぬ時にビーズを身にまとっているのだろうか。
Lolon Music Festival(ラロン音楽祭)
ラロン音楽祭は、バングラデシュのクシュティア地域の村を貸し切って毎年開催される音楽祭で、Lalon Fakirが生んだ音楽と文化を称賛するものであり、彼の誕生日を祝うための祭りでもある。音楽祭には地元のバウルミュージシャンから海外から有名なアーティストが来て演奏をしたりなど大規模に開かれる。
私の体験
こう長々教科書みたいな説明をしたところで要約すると、ラロン音楽のテイストはレゲエやジプシー音楽、日本でいうと沖縄の民謡音楽をもっとシャープに(?)した感じです。これに出会ったきっかけはバングラディシュでニートをしていた頃友達に「お前が見たことないもの見せてやる」といってクシティアのラロン祭に連れてかれた時でした。真っ暗な田舎村で響き渡る伝統楽器の生々しい音、歌詞の意味は全くわからないのにバウル達の声は魂に貫通してきた。初めてアルコール飲んでないのに酔っぱらう体験をした。そこから深みにはまるだけだった。バウルの精神は宗教、国境、民族など、人間同士の垣根を超え愛を語る。
バウルの伝統楽器
最後に現代版にアレンジした私の推しSatyaki Banerjeeが演奏するラロン音楽のリンク貼っとくので全人類に聞いてほしいです。
Satyaki Banerjeeの弾き語り ひとりの時に聴く