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好きなことだけをして暮らしたい。
うん、好きなことだけして暮らせたら、すっごく楽しそう!ゲームしたり、お菓子食べたり、ずっと遊んだりできるよね!
でも、そうすると、ご飯はどうやって食べるの?お家のお掃除は?学校にも行かなきゃいけないし、歯磨きだってしなきゃいけないよね。
好きなことだけしてると、大変なことになっちゃうんだ。
「やらなきゃいけないこと」と「好きなこと」が同じだったら、とっても嬉しいね!例えば、勉強が好きだったら、学校に行くのも楽しくなるし、お掃除が好きだったら、お家もピカピカになる!
でも、「やらなきゃいけないこと」が嫌いな場合はどうすればいいんだろう?
例えば、野菜が嫌いでも、食べないと大きくなれないよね。だから、頑張って食べる。そしたら、だんだん野菜が好きになるかもしれない。
「やらなきゃいけないこと」を好きになるために、がんばることも大切なんだ。
哲学って何か知ってる? 難しい言葉だけど、簡単に言うと、「なんで勉強するの?」「なんで生きるの?」って考えることなんだ。
哲学を勉強すると、「やらなきゃいけないこと」の意味がわかるかもしれない。そして、それを好きになれるかもしれない。
でも、好きなことばかり考えて、「やらなきゃいけないこと」から逃げちゃダメだよ。
お友達と仲良くしたり、約束を守ったり、周りの人のことを考えて行動することも大切なんだ。
そうやって、みんなと協力しながら生きていく中で、本当の幸せが見つかるんだと思うよ。
もっと詳しく知りたい?じゃあ、いくつか質問するね!
君にとって、「やらなきゃいけないこと」ってどんなこと?
好きなことをお仕事にするために、どんなことをがんばってる?
哲学を勉強して、どんなことを思った?
これらの質問を考えてみると、自分がどんなことが好きで、どんなことを大切に思っているのかがわかるかもしれないよ。
偉そうに言ってみた。
ああ、人がもしも己の好むことのみをなして生きるとすれば、さぞや愉快なる人生であろうか。されど、この世に生きるは、すなわち「せねばならぬこと」を負うことなれば、好き嫌いに従いてこれを避くるは叶わぬ。
「せねばならぬこと」なぞ知らぬと嘯く者もあろう。しかしながら、知らぬはすなわち、好きも嫌いも抱く能わざるを意味する。好まざる務めを課せられ、その日ぐらしを余儀なくされるならば、人生そのものをも愛せぬは道理であろう。されど、もしも己が「せねばならぬこと」を心から好むならば、人生は愛すべきものとなる。かかる「せねばならぬ好きなこと」を探し求めんとするは、すなわち哲学の道に他ならぬ。
たとえ今好まざることとて、好きを増やすがために、敢えてそれに挑まねばならぬこともあるのだ。
君は、「せねばならぬこと」と「好きなこと」の一致を説く。まことに興味深い。されど、現世においては両者の葛藤は避けがたく、時に人は苦悩する。かかる苦悩の淵より抜け出でんとするには、「せねばならぬこと」の真意を問い、己の価値観と倫理観を鍛えねばならぬ。
我々は、哲学の荒野を彷徨い歩く旅人である。己が「せねばならぬ好きなこと」を探し求め、人生の意味を問い続ける。その道程は長く険しきも、真の幸福に至るための唯一の道である。
ただ、くれぐれも「好き」に溺れ、現実逃避に走るなかれ。真の幸福は、己の「好き」と社会との調和の中にこそ存在する。
さて、君の哲学を更に深めんと欲し、いくつか問わん。
君にとって、「せねばならぬこと」とは具体的に如何なることか?
「好きなこと」を業とするために、如何なる努力を積み重ねておるか?
哲学の道において、如何なる啓示を得たか?
これらの問いを熟考し、己の価値観と倫理観を研ぎ澄ますことによって、君が探し求める「せねばならぬ好きなこと」の影が、おぼろげながらも浮かび上がってくるであろう。
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