自分は今、何をすべきなのか?
今日の写真は、小蕪の肉巻きです。
誰にも邪魔されない時間があったとします。あなたは何をしますか?
わたしは寝ます。よく寝て、よく食べて、よく遊んでの繰り返しをします。
邪魔とはそれ以外のことをすることです。
遊ぶために食べるのです、そして眠るのです。人は遊ぶために生きているのです。遊びとはどのようなことでしょうか?
知能を有する動物が心を満足させることを主たる目的として行う行為です。
つまり働くことも、料理をすることも、学ぶことも、スポーツも心を満足させることを目的とするならば遊びだと言えるのです。遊戯場を利用したり、趣味や娯楽だけが遊びではないのです。
心が満足しないことをするのは遊びではないのです。遊ばずに働きなさいと叱咤されるのは辛いことです。心を満足させましょう。
子どもにお手伝いを教えるにはご褒美を与えるのが良いのです。心のご褒美は感謝の言葉です。
「ありがとう、助かったよ」
なぜ、子供の頃の目標が遊びたいと言うと怪訝な顔をされるのでしょうか?
それは、遊びは働いたり学んだりすることの妨げになっていると勘違いしているからです。心が満足することは遊びしかなくて遊びはいけないことだと思い込んでいるからです。
男女の関係が遊びだといけない。遊びは長続きしてはいけない、また長続きしないと思い込まされているのです。集団生活で暮らすには同じ思い、同じ行動、規則正しいことが望まれるのです。
遊びから集団生活を学ぶことが、心を満足させるとは思えないのです。
遊びは自分が満足することが目的で他人が満足することではないのです。
集団になると自分も他人も満足しなければならないのです。ではどうすれば良いのでしょうか?満足できない人は我慢しなければならないのです。
満足も我慢もできない人を省いていけば良いのです。残った人は満足しているのです。我慢しているのです。省かれた人は集団に省かれた人です。不満足集団です。
あなたはどちらの集団に入りたいですか?
たくさんの人が我慢しているのです。不満だけど少数の不満集団には入りたくないのです。不満集団は不満だと言うだけで自分達の意見が無いのです。
不満を解消するには、自分達の意見が通ることです。自分達の意見がなければいつまで経っても満足することは無いのです。議論を重ねれば、誰もが満足する八方美人のような玉虫色のような考えが出てくるはずです。矛盾がでたならばまた考えれば良いのです。
丸め込まれたと思われても不満足のまま進むよりは一歩前進しているのです。賛成、反対で二分化するよりも満場一致を時間をかけても行うべきだと思うのです。
個人の判断は、こうするしかないで動けば良いのです。
集団の判断は、満場一致で議論を進めれば良いのです。
どちらも間違えれば間違えたところから始めれば良いのです。