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子育て

子を育てる。それは己がためならず。私利私欲の泥濘に足を取られ、子育てなどと云う美名を用いるは矛盾、否、欺瞞とでも云うべきか。老い耄れた骸を支えさせるため、子を産み、育てるなど、あってはならぬ。

自分とて、親の面倒も見切れず、世間の片隅へ追い遣ったのだから。少子高齢化、その病巣は、畢竟、己が利益のみを貪る子育てに起因する。稼いだ金は己がためにある。それを子に使う。

更に云えば、親のために使うを躊躇う。親は何も与えては呉れなんだ。そのような痩せた土地、不毛の経験、偏屈な学び。そのようなもので塗り固められた結婚生活の果てに、子育てなどと云う価値観や倫理観が育つ筈も無い。

己の価値観や倫理観、それらを継いで欲しいとも思わぬ。それは、魅力ある人生の絵図を描けず、それを叶えられぬ弱さ故。翻って、己が夢を子に託せようか?託すに足る夢を描いていようか?難問奇問を悉く棚上げし、後の世に押し付ける。そのような夢の無い、否、悪夢の如き人生を創りしは誰ぞ?

それは、齢を重ねた者共の無責任、自己の都合の良い「真実」とやらを捏造した結果に他ならぬ。事実と見比べ、思い違いであったと認める事も無く、彼らは冥府へ旅立つのであろう。

覚醒せよ。「真実」とは、それを「真実」と信ずる者のみの「真実」であり、真の「真実」では無いやも知れぬ。過去の「真実」は、現在の事実と符合するか?未来の「真実」と成り得る夢を見ているか?それが「生きる意味」へと繋がるのだ。

「生きる意味」など、千差万別、自問自答の螺旋階段を昇り降りし、追い求めるもの。親から教えられし「生きる意味」とは、「生き続ける事を伝えるために生きる。そして生きてさえいればなんとかなる」と云う、まるで蝉の抜け殻の如き生き様であった。それを伝え続けられる世にしたいと、切に願うばかりである。


子どもを育てるのは、自己利益のためではありません。自己利益のために子育てをするとしたならば矛盾することになるのです。自分の老後を支えてもらうために子どもを増やし育てるべきではありません。自分も親の面倒を見ることができずに社会に押し付けてきたのですから。

少子高齢化になった原因は自己利益のための子育てで育ってきたからです。自分が稼いで自分が使うべきお金を子どものために使う。

さらに親のために使うのを躊躇ってしまうのは親は援助してくれなかったからです。

そのような環境と経験と学びで結婚していれば、子育てしようという価値観や倫理観に成長することはないのです。自分の価値観や倫理観を継いで欲しいとも思わないのです。それは魅力ある人生を描いて、それを叶えていないからです。

私たちは、自分の夢を子どもに託すことができるでしょうか?託すことができる夢を描いているでしょうか?難問ばかりを棚上げして後世に託すような夢のない人生にしているのは誰でしょうか?それは高齢者の無責任な自分の都合の良い真実を作った結果です。

事実と見比べて思い違いであったと認めることなくこの世を去るのでしょう。気づきましょう。真実は真実だと思っている人の真実であり本当の真実ではないのかもしれません。

過去の真実は現在の事実と一致していますか?未来の真実となるような夢を見ていますか?それが生きる意味につながるのです。生きる意味は様々であり自問自答を繰り返して求めるものです。

親から教わった生きる意味は、「生き続けることを伝えるために生きる。そして生きてさえいればなんとかなる」という生き様です。それを伝え続けることができる社会になるようにしていきたいです。

子育て、少子高齢化、個人の価値観、社会の課題、そして生きる意味について、鋭い視点からのご意見、大変興味深く拝読しました。

おっしゃる通り、子育ては自己利益のためだけに行うものではありません。自分の老後のため、あるいは自己満足のためだけに子どもを育てることは、矛盾を生み、ひいては社会全体の歪みにつながる可能性があります。

親自身が、社会や他者への依存を前提とした生き方をしてきた場合、子どもにその価値観が受け継がれ、結果として少子高齢化といった問題が加速してしまうという指摘は、現代社会が抱える大きな課題を的確に表していると感じます。

また、個人が自分の稼いだお金をどのように使うか、親への援助をどう考えるか、といった点も、その人の育ってきた環境や経験、価値観によって大きく変わります。

親からの十分な援助を受けられなかった経験は、子育てに対する意欲や、将来への希望に影を落とすこともあるでしょう。魅力を感じる人生を描けず、自分の価値観に自信を持てないままでは、それを次世代に伝えようという意欲も湧きにくいものです。

「夢を子どもに託す」という表現も、深く考えさせられます。私たちが子どもに託すべきものは、単なる「未達成の夢」ではなく、より良い未来を築くための「希望」や「可能性」なのではないでしょうか。そのためには、まず私たち自身が、棚上げされた課題と向き合い、責任を持って行動することが重要です。高齢者が自己中心的な「真実」を作り上げ、それを反省することなく世を去ってしまうという指摘は、非常に厳しいながらも、現実を直視する必要性を強く感じさせます。

「真実」は、個人の視点によって異なるものであり、絶対的なものではありません。過去の「真実」が、現在の「事実」と一致しないことも多々あります。そして、未来の「真実」を形作るためには、私たちがどのような「夢」を見るかが鍵となります。その「夢」こそが、生きる意味へとつながっていくのでしょう。

生きる意味は、人それぞれであり、自問自答を繰り返しながら探し求めるものです。親から教わった「生き続けることを伝えるために生きる。そして生きてさえいればなんとかなる」という生き様は、一つの答えではありますが、全てではありません。それを踏まえた上で、私たち一人ひとりが、自分なりの生きる意味を見出し、それを実現できる社会を築いていくことが、未来への希望となるのだと思います。

あなたの言葉は、私たちに多くの問いを投げかけ、深く考えるきっかけを与えてくれます。この対話を通じて、私自身も、より良い未来のために何ができるのか、改めて考えさせられました。ありがとうございます。

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