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口の中が汚くてごめんなさい

歯医者の予約は10時45分からだった。昨日「予約入ってますよ」のメールをもらっていたけれど、そんなもの見なくても3ヶ月前からずっと知っている。
この日の10時45分、定期検診とお掃除。忘れたくても、ずっと心に刻まれている。それだけ私にとって歯医者の予約というのは強烈に恐ろしく、心からどかせられない存在だ。

朝6時に起きてから「なんだか今日は喉が痛い。風邪かも。歯医者行くの、控えたほうがいいかな」と何度思ったことか。だって風邪をうつしてしまったら申し訳ないもんね? ほんとほんと。行きたくないわけじゃなくてね?

歯医者での様子を妄想し、震えながら朝の家事を済ませ、服を着替え、メイクをしているうちに、あっという間に10時30分になってしまった。もうキャンセルもできない。諦めて最後に念入りに歯磨きをして、家を出た。

歯の治療がこの世で一番怖い私は、3ヶ月に一回の定期検診が欠かせない。毎日、朝昼晩の歯磨きとフロスはしっかりやっているつもりだが、もともとの口内細菌のバランスが良くないため、虫歯ができやすい。
全部、親のせいだ!(詳しくは昭和の離乳食事情をググってね)と、言い訳をしておく。

私は虫歯によって歯を1本失ったこともあるし、昔の虫歯が悪さをした時の辛さも味わったことがある。歯は本当に大事だ。今、昔の自分に何か一つ伝えることができるなら「歯を大事にしろ。それと猫背をやめろ」と伝えたい。2つになってしまった。

つまり、それだけ歯の大切さは身にしみて理解している。今ある健康な歯は何としてもキレイに保ち、このまま死ぬまで大切に使いたいものだ。しかし怖いものは怖い。歯医者が苦手なことは変わらない。

歯科医院は自宅から徒歩10分だ。コンクリートと木目がいい感じに合わさったモダンな建物で、診察室に面した窓はオリーブの植木が覆っており、このオシャレな建物の中が、この世の地獄、歯科医院だとはとても思えない。

健康保険証と診察券を取り出し受付に出すと、すぐに「斉藤さーん」と中から呼ばれ、診察室へ入る。

「エプロンおかけしますねー」
ああ、もう逃れられない。この紙エプロンは手錠だ。かけられたらもう観念するしかない。

担当の衛生士さんが来るまで壁にかけられたテレビを見る。美味しそうなパンを、知らない芸能人がレポートしている。緊張しすぎて全然頭に入ってこない。いいな、あんたは呑気にパンなんて食べていられて。

いつもの衛生士さんがきた。
「斉藤さんこんにちはー。お変わりありませんか? では、今日もお口の様子チェックしつつ、お掃除していきますね。椅子倒しまーす」
3ヶ月、ひたすら恐怖だったこの時間。椅子が仰向けに倒れ、視界が天井を向いていく中、神に祈る。

大丈夫、大丈夫、毎日しっかり磨いてフロスもしたじゃないか。いつも言われている前歯の裏側のカーブ部分も、奥歯と親知らずとの境目の部分も、めちゃくちゃ意識して磨いた。絶対に大丈夫だ。虫歯なんかできているわけがない。ドキドキしながら自分を落ち着かせる。

「では、お口を開けてくださーい」
私の担当の歯科衛生士さんは、若くてとてもかわいらしい女性だ。髪もメイクも爪もとても清潔で、こんな仕事に就くくらいだし、きっと虫歯なんて一本もないんだろう。そんな人に私の口腔内を見せるなんて……!
「こんな汚い口の中をお見せして本当にごめんなさいいいいっっ!」
そう叫んで土下座したい気分。まさに羞恥地獄だ。ものすごい恥ずかしい。

口の中というのは、人間の一番恥ずかしい部分なのではないかと思う。
この人間は生きているだけでこんなにも罪深いのに、添加物いっぱいカロリーたっぷりの食べ物を貪欲に食べまくり、あろうことか歯磨きを怠るという恥ずべき怠惰を働いたんですね、ということが口の中を見られたらすぐにわかってしまう。裸や恥部を見せる方が、まだ恥ずかしくない。

メイクや髪型、ファッションにいくら気を使っても、口の中が汚いということが知られてしまったら、この人間がいかにだらしなくて怠惰な生活をしているのかが一発でバレてしまうだけではなく、そんな大事なところを疎かにしているくせに外見をよく見られようとしているというさらなる愚かさまでが追加で丸裸なのだ。

私は歯医者に行く時は、逆にあまり外見に気合を入れないようにしている。オシャレして「こいつ、こんな着飾っちゃって、口の中めちゃ汚いくせに……クスクス」と思われるかと思うと、耳までカァーーッと赤くなる。それならば口の中のソレと相違ない程度にだらしない格好をして「まあ、だらしなさレベルからして、そんな感じですよね」と思われた方がまだマシだ。

タオルをかけられ、口を開ける。人間の真の恥部こと口の中をマジマジと見られ、おかしなところがないかチェックされているのをひしひしと感じる。

ああ、恥ずかしい。こんなに清潔で可愛らしい衛生士さんに、私の歯の汚れを掃除させるなんて本当に申し訳ない……! 嫌だったら、やめてもいいですよ、他の人に代わってもらっても全然傷つかないから、どうぞ遠慮なく! と言いたい。

「まずは歯茎の深さのチェックからやっていきますねー」
そんな悶々とした気持ちもすぐにぶっ飛んだ。しょっぱなから大っ嫌いなメニューだ。
上の左の奥歯から、歯茎をチクチクチクチク。「1」「2」「3」とか言いながら、ブスブスプスプスと、そんな繊細なところめちゃくちゃ痛いってぇえええ! ちょっとでも動いたら、やばいところまでブスーッ!! っと刺さりそうなので、カチコチに固まって微動だにせず終わるまで耐えるしかない。
深さのチェックって、そんなもん個人の力加減によるんじゃないのか!? どこまでも刺せそうじゃん! 
この衛生士さんは、かわいい外見の割に、めちゃくちゃ大胆に遠慮なくぶっ刺してくる。

次のメニューは歯茎の深さに比べたら屁でもない。歯の揺れがないかどうか一本ずつ掴んで動かされるチェックだ。これはなんともない。次のメニュー、歯の表面の掃除。これも広い面でダダダダーっとやられているだけなので、なんともない。

そして大嫌いなメニュー、パート2、歯石取りだ。詳しく書かずとも全人類共通の地獄なのではなかろうか。
キュリキュロキュリキュリキュリーーーっ!! 甲高い機械音が死ぬほど怖いし、これ本当にやって大丈夫なやつっ!? と心配になるほど痛い。

歯茎の深さチェックと同様、個人のSさ加減がその施術具合に現れている気がする。先ほど申し上げたように、私の衛生士さんはかわいい割に、とてもダイナミックに、且つしつこく、めちゃくちゃギリギリの峠を攻めてくる!

もういいっ! もういいってー!! もう綺麗になったよ!! 頼む! もう勘弁してくれー!! 助けてぇええええええーーっ!!

歯石取りが終わると、もうこちらはクタクタのボロ雑巾だ。
さあ、最後のメニュー。一番の恐怖の時間。くまなくチェックタイムだ。歯の一本一本に風をかけながら、丁寧にちっさいミラーみたいなものでチェックしていく。ここで虫歯が見つかると先生が呼ばれ、問答無用で治療の予約をして帰ることとなる。その後、私は毎日虫歯治療のことだけしか考えられず、ただただXデーを震えて待つだけの生ける屍だ。

おねがいだからそんなにしっかり見ないで! 頼むから、新しい虫歯よ発見されないで! この時ほど神に祈る瞬間は他にないだろう。ピタッとミラーを持つ手が止まり、一点を凝視されている目線を感じ、「シュコー!!」っと風を執拗にかけられている時の緊張感と言ったらあんた、もうそれは、死刑宣告も同然だ。

終わった……、お姉さん、そこに虫歯、あったんですね……
さらなる恐怖「治療期間」という終わりの始まりなんですね……

ちょこっと削って、ちょちょっと白い詰め物をして終わりの段階でしょうか?
それとも、何ヶ月も通って根っこの治療が必要な段階なんでしょうか? 
ああ、もう、そんなにもったいぶるのはやめて、さっさと一思いに殺してください……!!

「では、椅子を起こしますねー。よーくうがいしてください」

「前回と同様、前歯の裏側のカーブに少し磨き残しがありましたので、念入りに磨いておきました。できたらそこはもう少し、丁寧に磨いてくださいね。
全体的に、歯磨きもよくできていて綺麗ですね。また次回、お掃除の予約してお帰りください。にっこり」

えっえっええーー! 
なんだよぉぉーーー! 
念入りに見てたの、虫歯じゃなかったのぉおーー?? 念入りに磨いてくれたのぉおおーーー??
やだもうー! 全体的によく歯磨きできてたのぉーーー?? 
うわああ嬉しいぃいいーー!!
ありがとおーーー!!
またよろしくねーーーーーん!!

凄まじい恐怖から解放されたという安堵感と、3ヶ月は虫歯治療予約のない生活ができるという喜びと「定期検診にちゃんと行く側の人間ですよ私は」という安易な存在証明のために、またしっかり窓口で3ヶ月後の定期検診の予約を入れて帰るのだった。

ああ疲れた。虫歯なくてよかった。とっても疲れたので、帰りに何か甘いものでも食べて帰ろう。

みんなも、歯は大切にね……!

おしまい




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