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行き止まりのニュージーランド

この文章は、マイナビとnoteで開催する「#あの選択をしたから」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

私は卑怯で強欲な人間だ。小さい頃から全てを自分の思い通りにしたいと思っていた。

5歳の頃、近所の大富豪の息子、ダイちゃん(5歳)が持っていたライオンの腕時計がどうしても欲しかった。

彼は私のことを好きで「大きくなったらナミちゃんと結婚したい」といつも言ってくれていた。嬉しいな、と思いつつも私はその立場を利用して「その時計をちょうだい?くれなきゃ結婚してあげないよ?」と脅し、まんまと時計を手に入れた。エピソード内の可愛らしさと酷さの落差がすごい。

ボロい賃貸に住む貧乏人の私が、日本とアメリカに豪邸を所有している富豪の息子を相手に、結婚を餌にして金品を奪うなんてどれだけ自分に自信があったんだろうか。無邪気って怖い。

7歳の頃には猫を飼いたくて画策した。捨て猫を連れ帰ったものの、母に「うちでは飼えない」と一蹴されたため「この子死んじゃうじゃん!じゃあ私も一緒に死ぬ!」と派手に泣き叫び、真っ暗な夜に外へ出ようとした。

玄関あたりで引き留められる想定でゆっくり飛び出したけれど、全く引き留められず焦った。しかし奇跡的に外が土砂降りの雨だったことで、渋々の「今夜だけよ」をゲット。情が湧くまでのらりくらりと過ごし、まんまと飼うことに成功した。

常に小賢しい画策をして、物事を自分の思い通りにしようとしていた。

ところが小、中学と成長するにつれ、思い通りにいかないことが増えてきた。すると卑怯者の私は、今度は嫌なことから逃げるという選択をするようになった。

マラソンは毎年風邪をひいて逃げたし、楽しそうだと思って入ったテニス部もしんどくてすぐ辞めた。

友達との仲がこじれると、そこからも逃げた。貧乏や、酷い天然パーマのコンプレックスからか、5歳の頃にあれだけ満ち溢れていた自信もめっきりなくなった。自分がどう思われているかを気にして行動するよりも1人の方が気楽で、人付き合いも苦手になっていった。

人間の友達なんかいなくたって私には本や猫という友達がいるからいいや、と人間関係からも逃げた。改めて文章にするとなかなかキツい。

勉強ではどんどん数学がわからなくなり、高校受験の頃には理系から逃げて文系だけを勉強するようになった。

そうして私は大事な進路も、理系科目がないからという理由で英語に特化した高校に決めた。映画や読書が好きだし、英語だけ勉強して将来は翻訳家にでもなろう!と思っていた。翻訳の仕事も人生もナメまくっていた。

しかしそんな風に苦手なことから逃げ、楽な道を選ぶという方法で進路を選択したことによって、とんでもない目にあった。

海外ホームステイだ。
それはコミュ障にとってこの世の地獄を意味する。

外国で知らない家族と3カ月も暮らす!?
無理無理無理無理っ!

日本人とでさえうまくコミュニケーションが取れないのに、外国人の家庭にたった1人で放り込まれ何カ月もそこで暮らすなんて、そんなの私には絶対に無理!

朝起きてどんな顔して現れたらいいの?「グッモーニン!いい天気だね☆」なんて言えない。挨拶がわりにハグやキスをしたり、ホームパーティでこじゃれた会話をしたり…なんて絶対にできない!

いやだっ!いやだいやだいやだ!

しかしいくら駄々を捏ねても、その学校に入った以上、ホームステイからは逃げられなかった。外国人の前でひたすら愛想笑いをし続け、顔の筋肉がぶっ壊れてしまうことを想像をしては眠れない夜をすごした。
そして、その日々はやってきた。

行き先はニュージーランド。乗換えで寄ったフィジーの空港で、わらの腰みのを身につけてアホほど笑っている陽気な外国人と、虚無の目をした私が肩を組んで撮った写真が今でも手元にある。これから死ににいく人間の顔をしている。

ホストファミリーと初めて対面した時のことは今でも忘れない。子供達が私を見ては、目で合図してクスクス笑っている。くっそぉ…!
宇宙人と対峙したような気分だった。全く仲良くなれる気がせず、この先の地獄を改めて覚悟した。

これが嫌なことから逃げ回ったツケか…
心の底から、普通の高校に行ってればよかったと思った。

ファミリーの構成は、私と同級生のErinと、弟のAiden(7歳)と、ママとパパだ。

「Erin」の発音はとても難しく、彼女には呼びかけるたびに「違う、やり直し」と何度もやり直させられた。

想像通り、つたない英語で「これはどうしたらいいですか?お風呂に入っていいですか?洗面所を使っていいですか?」など、暮らすための必要最低限の会話と愛想笑いで生きる毎日を送った。

平日はErinの学校に通った。授業は日本からの生徒だけだったので、その時間に各々がホストファミリーの悪口を競うように吐き出していた。最初の頃には「帰りたい」と泣いている子もたくさんいた。

しかし、だんだん他の子は英語の生活にも慣れ、ホストファミリーとも仲良くなり、後期には明らかに性格も見た目も陽気になっていった。

エッセイ的にはここらで私も「この体験がいかに貴重かに気づき、前向きにホストファミリーに関わるようになり毎日楽しくなった。あーん、もう帰りたくない!」とか書きたいところだが、そんなことには全くならなかった。

私だけはずっと打ち解けなかったし、早く帰りたくてしょうがなかった。今すぐ日本に帰れるのなら、盲腸くらいならなってもいい!と常に腹の様子を気にしていた。

毎日必要なことが終わるとすぐに部屋に入り、本日のErin's悪口記録と、自分をなだめる日記を書いた。日付に×をつけ、帰国まであと何日か指折り数えた。

自分の思い通りになんて全く過ごせない、どこにも逃げられない場所で、卑怯の「ひ」の字も現すことなく、ただただ毎日を修行のように耐えた。あと2カ月、あと1カ月、あと10日…

そして、なんとかやり遂げられた。

最後までこなせたじゃん私!すごいすごいすごい!
逃げずにちゃんと乗り越えるって、こんなにも清々しいのか!

物理的に逃げられなかっただけ、ということには全力で目を瞑り「私だってやればできる!根性あるんだ!」とめちゃくちゃ前向きに捉えた。

ようやく明日は…!という帰国前夜。
学校でお別れパーティが開催された。最後のお勤めなので仏のような心構えで参加したが、そこでもErinは私にいじわるをし「ナミが悪い。あの子が私に嘘をついた」と親に告げ口をしてクスクスしていた。あんたってやつは最後の最後まで…くっそぉ…!

しかしもうこの家族ともおさらばだと思うと全然平気だった。
いくらでも笑うがいい!もう明日の今頃には日本だ!ガッハッハ!さようならホストファミリー!さようならニュージーランド!

ニュージーランドの星空がものすごく綺麗なことにも、この日やっと気づいた。頑張ったご褒美に感じた。これを見にいつか必ずまた来ようと思った。

3カ月ぶりに帰ってきた日本の空港は醤油の匂いがした。
帰国した生徒たちは皆、心も体も一回り大きく成長していた。私の心はほとんど成長せず、体重は4キロ減っていた。

**

嫌なことから逃げる癖は、ずいぶん減った。楽な方へ逃げ続けても、どこかで行き止まるからだ。

あの時、あの学校へ行かずに他の学校へ進学していたら、あのまま嫌なことから逃げられる環境が続いていたら、私は今頃どんな人間になっていただろうか?

思い通りにならないこと、逃げたくなるようなことはたくさんあるけれど、あんなに辛い3カ月を乗り越えられたんだ、あれに比べたら…!と思うと大抵のことは乗り越えられた。

私はあの選択をしたことで逃げ続ける人生を踏み止まることができ、忍耐力のある卑怯者にレベルアップした。

あの時出会った「私って意外と根性あるんだ」という前向きすぎる勘違いも、そのまま自分の長所として掲げている。

ちなみに、少しは話せるようになった英語は帰国後キレイすっかり忘れ去ったので「この選択をきっかけに素晴らしい英語人生が広がった!」的な王道ストーリーには展開しなかったし、なめくさって志望していた翻訳家にももちろんなれなかった。

しかしニュージーランドから帰った後も日記を書く習慣は続き、こうして今でも文章を書いている。

あの日々は、確かにここに繋がっている。私は、いまや忍耐力のある卑怯な物書きだ。

生きていると、日々、何かを選択することの連続だ。選んだ先にも、それを土台にした次の選択が待っている。その時には合っているのかどうかわからなかったり、間違っているように思えたりすることもある。

逃げたからこそ見えた景色もある。逃げずに立ち向かったからこそ見えた景色もある。

何が正解かなんてわからない、それがここまで生きてきた私の正直な気持ちだ。

それでも選ぶことをやめるわけにはいかない。

しっかり向き合って選んだ選択でも、時には逃げるという選択でも、いつか、あれもそれも全部が繋がって、あの日の星空みたいな、自分だけのとっておきの景色が見つかるはずだと信じて。

ただ、あの日フィジーの空港で撮った、腰みのの外国人と肩を組み、死んだ魚のような目をしている自分を見るたびに「もう海外ホームステイだけは絶対に選ばないぞ」と誓わずにはいられない。


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