【不登校】「〜したほうがいい」ことが片っ端からできなくなる理由


こんばんは、パン子です。


不登校エピソードのあるある話で、

「〜するって言ったのに、当日になるとできない」
「〜したいって言ったから予約したのに、直前になってキャンセル」

ってよくありませんか?

我が家でも、不登校になって間もない頃は、このようなことがたびたびあり、親も振り回されてイライラしたり、がっかりしたりの連続でした。

スクールソーシャルワーカーをしていた頃も、このようなエピソードはたくさんありました。

「明日は学校行くっていったのに行かない」

「先生と放課後会う約束していたのに、行けない」

「友達と遊ぶ約束をしていたのに行けない」

「習い事も次回は行くっていったのに行かない」

などなどなどなど。。


その度に親御さんは

「すみません、ちょっと行けないみたいで、、申し訳ないです。」

「やっぱりまた日程を変えていただいてもいいでしょうか、申し訳ありません」

と頭を下げる一方で、

「自分で行きたいっていったじゃない!」

「約束したのに、相手に迷惑をかけてるのわかってる?!」

と子どもを責めてしまう悪循環。


我が家でもたびたび起こっていました。



どうしてこうなってしまうのか??


私の思う原因は、

不登校は、「〜した方がいい」という既存の価値観を片っ端から拒否し、ぶっ壊すためのきっかけだから。

ちょっと強い言い方ですが、それくらいパンチの効いた言葉がなぜか今しっくりきています。

どういうことかということ、、

「学校には行った方がいい」

「友達に誘われたら、ハロウィンパーティーで会った方がいい」

「習い事も行った方がいい」

「約束は守った方がいい」

やった方がいいにきまってる、それは本人が一番よくわかっています。

だからこそ、その時の空気や親の意向を察して、

「行ってみようかな」

「ちょっとだけやろうかな」

「行けると思う」

「やってみたい!」

と子どもは無意識にこのような発言をすることになります。

でもこれらを不登校翻訳機で訳すならば、

「(学校には行った方がいいから)行ってみようかな」

「(きっとお母さんは私にハロウィンパーティーに行ってほしいだろうから)ちょっとだけ行こうかな」

「(習い事もお金もかかっているし、そろそろ行った方がいいから)次は行けると思う」

「(友達とした約束を守らないなんて、相手に失礼。気持ちは乗らないけど守った方がいいから)行きたい!」


こういった感じでしょうか。

要は、「した方がいい」の裏には「本当はしたくない」という気持ちが隠れているのですが、子どもも大人もそれに気づけていない、もしくは見ないようにしているということなんだと思います。

既存の価値観や人間関係の常識などは、「〜するべき」「〜した方がいい」こととして子どもたちはちゃんとわかっています。

しかし、その価値観は子ども自身が作ったものではなく、親や社会が受け継いだり生み出したりしたものであり、良かれと思って子どもに幼い頃から教えている価値観です。

子どもたちは成長するにつれてそれを察して行動するようになり、いつのまにかそれが当たり前のこととして染みついていきます。

だから、自分がどう振る舞ったら良いのか、何を期待されているのかもとてもよくわかっているんです。

でも、自分の現状が苦しくなって求められる姿とかけ離れていくと、「〜した方がいい」という既存の価値観に片っ端からアレルギーが出るようになります。その皮切りが「学校に行かない」ことなんだと思います。
そして、親や先生の望む価値観に対して、子どもは命がけで拒否をし、大人の価値観が変わるまでいろいろな形で訴え続けるのだと思います。

「約束をしても、守れない」
「またドタキャン」
「自分で行くっていったのに、行けない」

もしそんな子がいたら、こう言ってあげたいな。

「自分を責めなくていいよ」
「した方がいいと思ったんじゃない?今はやりたいことだけやろう」と。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?