子ども自身が自分の不登校を受け入れる【終わりから始まる】


こんにちは、パン子です。


前回、うちに3人の不登校の子どもたちが集まっているという話をしました。

1人目は我が家の娘。不登校の状態というか、学校に行かない選択を自分でして、家で過ごすことにして一年半がたちました。

不登校のことについては、最初は「行きたいけど行けない」からはじまって「やっぱり行きたくないのかもしれない」に変わり、今では不登校のことをパワーポイントでまとめたり、自分のことを「不登校のベテラン」と言うなど、ありのままの自分をだんだんと受け入れられるようになってきたかもと感じています。

2人目は近所の同級生。この子は三年生の二学期から不登校になった子で、当初は「学校に行きたいけど行けない」と言っており、その時期は抑うつ状態で病院受診も考えていたようです。でも、毎日我が家で遊ぶようになり、元気を取り戻し、今では気持ちの波が落ち着いて過ごしています。

3人目は、近所に住む私の甥っ子。この子はしばらく学校に行ったり行かなかったりでした。子どもに聞くと、「パパが行けって言うから」とのこと。一日1時間程度好きな授業を選んでお母さんが連れて行っていました。我が家に遊びに来るようになってから、その1時間も行きたくないと言って行かない日が増えました。
でも、そのときの彼は

「俺は、まだ不登校じゃないから」

とよく言っていました。どこか1時間は行っている、がんばってるんだっていう気持ちがあったのだと思います。

でも、最近その1時間登校をしていないようで、毎日我が家で遊ぶようになっていました。

さっき、さりげなく「最近学校行くのやめたの?」と聞いたらこんな返事が返って来ました。

「今はもう不登校になったから、、」

そっか、、、

不登校になったのか。。

アメリカの心理学者🇺🇸ウィリアム・ブリッジズが提唱した転機の3ステップモデル

終焉(何かが終わる)

ニュートラルゾーン

開始(何かが始まる)

に当てはめて考えてみると、不登校は子どもたちにとっても、親である私にとっても大きな転機だと言えます。

「学校に行かなければならない」
「学校に行きたいのに行けない」
「短時間でも行ける方がいい」

そんな価値観を終わらせる。ピリオドを打つ。区切りをつける。

それがどんなに苦しいことか、
壮絶な葛藤を伴うものか、
経験をして知ることができました。

子どもたちも、そのような苦しい過程をたどりながら、既存の価値観を終わらせる。それはありのままの自分を受け入れるという人生の大切な経験だと感じます。

そして、終わらせて初めて何かが始まる。終わらなければ始まらない。

甥っ子の「今はもう不登校になったから」という言葉に、何かが彼の中で変わったんだなと感じました。それがなんなのか、何かが終わったのかどうかは彼にしかわからないのだけれど、表情の明るさなどをみると前向きに自分で選択したように感じます。

子どもたちが自分の不登校状態を受容するためには、親の受容が必要であり、親が受容するためには親自身が社会的に受容される必要性があると思っています。そのことについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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