【チベット語アウトプット日記】#4 チベット語のつづり
何を隠そう私は坊主の娘なのだが、本当は父である禅坊主の娘じゃなくて三日坊主の娘なんじゃ?と思うほど継続する力がない。
ただでさえ飽き性な性格の私が「継続が命!」みたいなnoteが続くのか。
でもそんな私が続いているこのチベット語、
続いている理由は他でもない「お金を払っているから」。
無駄にしたくない受講費、だから今日も頑張れる。
今日のテーマは「チベット語のつづり」について。
チベット文字にもだいぶ慣れてきたのも束の間、チベット語は書き言葉と口語にびっくりするくらいの差があるのです。
チベット文字とは
歴史としては
チベット文字は、古代インドのサンスクリット語に用いられたデーヴァナーガリー文字が起源だとかグプタ文字が起源だとかあーだこーだ言われているが、
文字自体はその頃の時代からほとんど変わっていないらしい。
だから文字の起源はすごく古い。
文字は変わらない、しかし読みは…
しかし、「言葉」というものは時代とともに変わるものである。
日本語だって「今日は」が会話の冒頭だったのが「こんにちは」っていう挨拶になって、
「けふは」って書いてた(発音してた)のが「きょうは」になって、
そもそも「こんにちは」の「は」は、「ha」じゃなくて「wa」と発音するのはいつから?誰から?どこから?みたいなことってあるよね。(ない?)
日本語を勉強しようと、特に古い本とかで独学で勉強しようとしている外国人には起こりそうなこの問題。
高い受講料払って語学研究の日本最先端の東京外大のチベット語講座でまさしく同じ現象を味わっている21世紀の日本人が私ですわ。
例えば、「たくさん」という意味の「མང་པོ་」という単語。
つづり通り読むと「マンボ」なのだが、カタカナ発音すると「マンゴ」と聞こえるし、実際そのように言っている。
「良い」という意味の「ཡག་པོ་」も、つづり通りだと「ヤポ」だが「ヤゴ」と読む。
これら2つの単語はどちらも形容詞だが、形容詞は「པོ་」(ポ)で終わるものが多く、その中でも「ポ」が「ゴ」と変化するものが時々ある
母音も変わることがある
上記2つは子音の変化だが、母音も変化することがある。
「たくさん」という意味の「མཉམ་དུ་」は、つづり通りに読むと「ニャムドゥー」だが、実際の発音だと「ニャムドォー」になる。
これは先生曰く「དུ་」の部分が助詞の一部を担っていて、重なったために「ドゥー」じゃなくて「ドォー」という発音になるのだとか。
なんのこっちゃ。
何はともあれ耳が重要
「チベット文字で読み書きができるようになりたい」
と思ったらこれら文字と音のズレは両方覚えていくしかない。ただ、私の個人的な目的は会話なので、これらを必死こいて覚える必要は正直ない。
それでもチベット人と実際に会って話す場面って今いるところでは絶対にないので、その日を夢見て必死でイメトレするか、諦めて文字も必死で覚えてチベット語の本やSNSでチベット語を文字として活用するか。
うーん…両方がんばります。
それではまた。
མཇལ་ཡོང་།
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