闘病→答病
約1年前にこのnoteで「闘病記」を書き始めたのですが、実はその時から「闘病」という表現に少しの抵抗がありました。
闘病とは:病気を克服しようとしてさまざまな努力をすること、病気による苦しみに耐え抜くことなどを意味する語。
言葉の意味は理解できるし、病に打ち勝って健康になるための日々なのだから「闘病記」で間違いないのだけど、何かが引っかかるんです🤔
最近、ある本を読んでいて、その中で「そうだなー」と思う内容がありました。
それは
癌細胞は悪さをしようと外から入ってきたモノではなく、もともと自分の中にある正常な細胞が変異したモノ。
そこには何か原因があり、その原因を克服する事が重要であって自分自身と争うのではない。
というものでした。(文面は私の解釈です)
なるほど。それもそうだな…と思いました。
その本では病気に「勝つ」ではなくて病気に「克つ」
「闘病」ではなく「答病」と書かれていました。
手術で悪い細胞を取り除き、放射線治療、抗がん剤治療は残っているかもしれない悪い細胞をやっつける治療。その時、正常な細胞にも攻撃していて…その間副作用に耐えていた。
これって癌と戦っているってことなんだろうか?
というより自分自身を傷つけてるってこと?
そんな風な考えを納得できた自分だから「闘病」という言葉への抵抗感があったのかもしれません。
そしてその本にはこんなことま書かれていました。
癌は原因の積み重ねによる「結果」であって、自分自身に何かを伝えようとするために出てきたモノ。そのことに気づき原因がなんなのか、考え知り、答えることで癌を解決する。だから「答病」
なるほど。
この2年の治療中、こんな考え方を聞いたことがなかったのですが、捉え方、考え方次第で生き方が大きく変わる気がしました。
これからどうするべきか…考えるきっかけになるかなと思っています。
※これを機に「闘病記」→「答病記」に改訂いたします。
※色んな考えを聞く、知ることで記事中の自分自身の考えに一貫性がなくなっているかと思いますがご容赦ください。
「負けずに頑張る!」と意気込んだり、「一緒に生きていきたい」と受け入れてみたり…メンタルの起伏が激しいこと、自覚しております😅
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